旅のお土産話トップへ戻る  旅のお土産話 vol.2    
 <寄り道しながら>
 
グアムを出航した私たちは一路ミクロネシアの首都ポンペイを目指すはずでしたが寄り道して「オロルク環礁」に錨を降ろしました。
ここは直径30kmもある大環礁、その中に人の住む小島がたったひとつ、人口9名!しかも全員カピンガマランギ出身者というクルージングガイドの説明。
好奇心のかたまりで立ち寄ったオロルクは15分も歩けば一周できる小島。
歓待を受け、カピンガのお土産話を持って帰りに必ず寄るからと約束しました。
以下航海日記より
1月23日(日) イルカ達に導かれポンペイ入港。浅瀬が多く、あちこちに座礁船。傾いた船体が哀れ・・・・。鉄錆た古い船は子供達の遊び場になっていた。海中部分は魚のお家?HINANOもハマりそうになり、お助け舟の先導で難を逃れる。
      
1月24日(月)  入国手続き終了、イエローフラッグ(検疫要請の旗)を降ろしルーモアス.マリーナに無事投錨。
<フネの入国手続きは役人の乗艇を待ち、フネの上でパスポート等のスタンプをもらう。それから上陸OK>
 
ポンペイは雨の多い島である。翌日は豪雨のため上陸をあきらめる。
雨にけむるヤシの高台にパンダナス葺きのバンガローが見える。ほかの家々はトタン葺きなので、あれはタヒチ等にある高級ホテルに違いないと勝手に決めつけ、高級?観光客が南国風バンガローでくつろいでいる様を想像するが、実はこれ、カピンガマランギ村だったのだ。カピンガマランギ出身者の集落。
HINANOが停泊しているのはカピンガ村のお隣さんだったのだ。まだまだ、ずっと遠いのに、カピンガマランギがとても身近に感じられる。そこは誇りを持ってふる里の暮らし方を続けている人々の生活の場だったのだ。・・・うれしくなる。
意外だったこと。ポンペイは日本食材が豊富、素麺から冷やし中華まで、何でもありって感じ。戦前から日本人が移住していたのだ。それもうれしくなる。
うれしいこと、もうひとつ。タクシー料金は一人一ドル。市内ならどこへ行ってもこれでOK。メーターも気にせず、もちろん、ぼられることもない。相乗りが普通なので先客がいてもOK、皆気軽に乗っている。こんな気楽なタクシーは初めてだ。
日本人経営のフェニックス・ダイブショップにてダイビングを楽しむ。
グアムで修理した足船(折り畳み式ゴムボート)の底が大きくはがれ、2日ががりで再修理。
楽あれば苦あり・・・。
 
2月2日 ポンペイ滞在10目、出港、コスラエに向かう。
約550km、コース110度
真向かいの風、ほとんど機走(エンジンで走る)。GPSが時々独り言を言う。<警告音> そのうち悲鳴を上げ、艇速と進路表示がおかしくなり、ハンディGPSに切り替える。
HINANOは真向かいの風で機走なんて事が嫌いなのだ。「私、ヨットなんだから、ちゃんと風を受けて帆で走ってよ!」と怒っているような気がする。
機走しても北赤道海流に押し戻され艇速2ノット(1ノット=1,8km)以下の時も・・・。大スコールの中、メインセール・ファーラーシートが切れたり、修理したり、キビシイ事色々。
          
 2月5日 夜明け前、波・風おさまり、日の出見ながらの入港準備。
コスラエには[Sleeping Lady](眠れる乙女)という峰々がある。
[Sleeping Lady]に抱かれるごとく位置するハーバーは静かで、目前の教会が印象的。ニワトリの声に混じって、落ち葉を掃く音が聞こえる。
ヨットが2艇停泊。快く迎えてくれた。コスラエが大好きで 何ヶ月も停泊しているとか。     

ポンペイではこう言われた。「とにかくナーンにもないっす。必要なもんはここで買って行かなきゃダメッスよ」
本当にナーンにもない。島の中心地には電話局、郵便局、銀行が2軒ほど、小さなよろず屋が数軒。食堂もあったかな?「酒がナイ」とあせるコーチャン。後日、よろず屋をハシゴしてポケット瓶をしこたま仕入れてきた(予備として)。さすが酔いどれ艇長の異名をとるコーチャン。ツーセとダブルハンズ航海では禁酒(節酒)のはずだけど・・・。
ナーンにもない島にあふれているものがあった。人々の笑顔と挨拶。老若男女、大人も子供も、行き交う人達みーんな笑顔で挨拶。気持ちのいい笑顔がうれしい。
凸凹道を車が走る。タクシーもあるけど面白そうなのでヒッチハイク。タクシーの運ちゃん、生活できるのかな、と心配になる位簡単なヒッチ。重い荷物を持っているとわざわざ止まってくれたりもする。
ポンペイでは、こうも言われた。「ナーンにもないけど、ミカンがあるよ。コスラエ・オレンジはうまいっスよ」
初日、入港手続のためコーチャンだけがまず上陸。香り高い真緑のミカンを持って帰艇。
ここのハーバーでヨットの面倒をみている通称「テツさん」(Mr.TED ESIGRHA)からのお土産だ。
カタコトの日本語を話し、ひいおじいさん(ひいひいおじいさん?)は日本人でありながらも、コスラエ最後の王様だったという。
「テツさん」の奥さんは日系人ではないが、名前は「サダコさん」、おおらかな人。
もうひとつ。ナーンにもない島に響きわたるものがある。日曜日、教会のゴスペルソング。混声、二重唱、三重唱、これを聴けただけでもコスラエに来てよっかった、と思う。
女性は全員純白のドレスで花嫁さんの様にまぶしい。
 
グアムで修理し、ポンペイで再修理した足船の底が全部はがれてしまった・・・。
何とか再々修理を、と、悪戦苦闘しているところへお助け舟。HINANOより2日遅れで入ってきたアメリカのヨット、男二人組。キャプテンはいきのいいヨットマン。「そんな足船を持ってカピンガまで行くのか?自分は二艇持っているから小さい方を売ってあげようか?」渡りに舟である。ポンペイでも手に入らなかった足船が、ナーンにもないコスラエで入手できるなんて!
エンジンはマーキュリー15馬力、乗り心地満点!

<赤道へ向け南下・あこがれの島カピンガマランギへ、そして・・>
 
出港前日、テツさん宅へ氷あずき(あずきの缶詰で作った)持参でお別れに行く。
「もっと早く知らせてくれれば、山にはミカン畑があるのに、too late! too late!と言いながら庭のミカンをもいで下さった。軒に吊した青いバナナ一枝も。
 
2月10日、滞在5日目、コスラエ出港、赤道経由、カピンガマランギへ。
620海里(1海里=1.85km)、コース235度。
「サビシイヨ」と言いながら握手して別れたテツさんの姿、印象的。
古参の二艇がいつまでも手を振ってくれ、前を走るのは生きのいい気の早いアメリカ艇。
 
以下ログブック(航海記録ノート)より:

2月10日 21:00
 天国、極楽Sailing。風よし、波よし、艇速よし(8ノット オーバー)
 
2月11日
 ヨコシマサワラ(体調105p)GET!!
 雨の中、スッポンポンで解体作業(もちろんコーチャン)
 後半、雨、曇り、雨、曇り、・・・。
2月12日
 日中は30度Cを越える。一日中すべての船窓を開ける。夜風も入れる。
 雨なし、横からのそよ風の一日。
 4年ぶりにウインドベーン・フレミング(風力自動走舵)使用。
 風に合わせて走ってくれる賢いヤツ。HINANOでは、かしこちゃんと呼ぶ。
 真上の船窓にウインドスコープ(イカくん)も取り付け、
 船室はCool wind ヒューヒュー。
  
2月13日
 一日中真快晴。昨日より大工仕事、ニス塗り、洗濯、大掃除。
 南赤道海流に乗っている(2ノット位)
 上弦の月、コウコウと照り、今日も一日平和。軽い波音たてて進むHINANO。
2月14日 
 11時13分51秒 赤道通過(東経155度33.35分)
 赤道祭りというので二人共ハッピ姿でお祭り気分。ハッピー・ハッピーと
 コーチャンは朝からすっかり出来上がって、お調子乗りのビデオ撮影。
 赤道上を往きつ戻りつ「バカなことをやっております。」「こんなおだやかな
 天気が続くとしっぺ返しがコワイです。」ナンテ言っているけど、丸い水平線が
 HINANOをくるみ、スコール雲の気配も全くない。
 
2回目の赤道通過記念と共に、ヨット仲間の散骨式。
 「ポセイドン様に海を愛したkさんの遺骨をお返しいたします。
 ポセイドン様と共にHINANOを見守って下さい。」
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