旅のお土産話トップへ戻る   旅のお土産話 vol.9
 <そして、HINANO 帰国まで>
=船積みのために=

さて、ポンペイ到着後の私達は、まるで日本人のような忙しさで、日々をこなしました。

日記より
 3月21日(火


09:30 ポンペイ入港手続き完了。
日本大使館へお礼の挨拶。大使代理も一緒に海へ潜って遊んだ仲なので、なんだか心安い。
いままで尽力してくれた、ダイビング仲間の館員が、船会社も調べてくれた。

お次は、曳航の件に直接かかわった方へ挨拶。日系人ではないが、名前はイトーさん。
とってものんびりと、よもやま話。週末にはナン・マドール遺跡へでも一緒に行こう、と誘われる。
エ〜トね、こちらはネ、ミクロネシア政府立て替え分、燃料代返済の件が、一番気になってンの・・・。
(必死の?英会話)結局、お金関係は他の人の担当で、別棟オフィスへ案内された。
そちらの方も又、の〜んびりとヨモヤマ話。週末は船遊びでも、と勧められる。
返済金額だけでも知りたかったけど、午後にでもマイクロ・グローリーに届けてくれるという。
(でも、その日には届かなかった・・・・)

船会社、共和海運・ミクロネシア代理店にて船積み交渉。珍しくトントン拍子でOKが出る。
ナント、その場でFAXとTELを駆使し、日本サイドとやり取り。
3月30日、日本向け大型貨物船入港予定。
31日には出港とか?貨物船(8000トン)は、その名も「AISIAN HIBISUCUS」・アジアのハイビスカス。
ハイビスカスはHINANOのトレードマークだし、なんだか、いい感じ!

 3月22日(水)

いよいよ、マスト抜きを決行。マイクロ・グローリーのクレーンに、クルー全員の視線が集まる。
カピンガマランギで人力での予行演習?やって、抜けることは確認済みだが、朝の船着き場に緊張感が走る。
全てのステイをロープに替え、ウインチに巻いてある。
6個のウインチに一人ずつ取り付き、第二スプレッダーを、クレーンの爪が掴む。
コーチャンの合図でウインチを少しゆるめ、同時にクレーンがマストを少し持ち上げる。ジリッ、ジリッ。
両キャプテン、現場監督、オペレーター、ウインチ係、見物人、全員一体となって、マストを見続ける。
デッキから抜けたトタン!大きく横に振れたマスト。マストに縛ってあったステイが暴れ、ビュンビュンうなる。ロープが指示通りフリーになったと同時に、クレーンが高くマストを持ち上げ、本船へ横倒しに。
暴れたステイとロープは、あっという間にクルーに整理され、それからマストは桟橋に移され、長々と横たわった。

その長さ20メートル弱。

カピンガマランギ環礁内、外での二度の試みを思い出すと、冷や汗が・・・。
こんな静かな湾内でよかった。(湾内でも荒れることがあるンです)
そして、本当にありがとうございました。マイクロ・グローリーの皆々様!

協和海運代理店は、船着き場からスグのところにあり、情報もスグ入る。
本社よりFAXで要請あり。「船積みには船台が必要。そちらで見つけるか、グアムに行って捜すように」
林さんよりHINANOの図面をFAXで受け取り、送金依頼もFAXで送信。
都会は、やはり便利。



 3月23日(木)
マイクロ・グローリーは他島へ出港するため、足舟2艇でルーモアス・マリーナへ曳航してもらう。
一瞬、足舟がコントロールを失い、本船の脇腹で風子ちゃんの羽を損傷。エンジン不動後のバッテリー充電にはこの風力発電機だけが頼りだった・・・。
マリーナのヨットは全員がHINANOの事故を知っていた。「悪いニュースは早く伝わるもんさ」と、言われてしまう。

ブーム、パドル、ボートフックを使ってオーニング用マストを立てた。ポンペイは、なにしろ雨が多い。日射しも強い。
オーニングはHINANOの大屋根。お陰でくつろぐことができる。
風子ちゃんも羽を均等にカットして、なんとか回転するようになった。これで少しの充電はOK.。
いいぞっ!コーチャンの知恵袋(笑)

3月24日(金)
グアムまで行って船台を捜すようにいわれたが、コーチャン、大工の腕を発揮することに。
大工用品専門の店を見つけ、材料吟味。材木、電動丸鋸、ボルト、釘、ハシゴ等々。さすが首都の島である。
ナンでも揃う。
代理店の大きな倉庫が、仕事場。倉庫番のおっちゃんは、興味シンシンでコーチャンの動きを見学。
チカラ仕事を手伝ってくれる。
代理店社長(アメリカ人)の奥さん「イチコさん」は日本人。
祖父母の代からポンペイで暮らしてるんだとか。ちょうど通りかかって、興味深いお話しをいっぱい伺った。

3月25日(土)
今日は週末で、大工仕事場の倉庫が使えないため荷物片づけに専念。
夜は、フェニックスでダイビング仲間のパーティーに混ぜてもらって、気分転換。
海のアソビ仲間は、はじめて会う人でも懐かしい感じがしてスグに溶けこめるのがウレシイ。
3月26日(日)
ダイビングショップ・フェニックスのスタッフ、ロビンソンはカピンガマランギ出身。
両親や姉妹とはカピンガで親しくなり、彼へのお土産に家族のビデオを撮ってきた。
店のロビーで上映し、大ウケだった。
日曜日は、カピンガマランギ村の教会へ「お礼参り」に行くつもりだ、と話してあった。

朝早く一人乗りシーカヤックで迎えに来てくれたロビンソン。まず自分の家に案内してくれた。
マングローブのジャングルの中、外側からは見えない神秘的な水路は、彼が自分で切り開いたとか。
急な斜面を登ると、バナナの大木に囲まれた高床式の家があった。
うっそうとした緑におおわれた一帯は、首都ポンペイとは思えない静かさ。
家族と共に慎ましくも豊かに生活するロビンソン手作りの環境にカピンガ魂を感じた。
教会も質素だったが、ゴスペルソングの響きは同じ。
スウィングリーの息子(9才)に再会しビックリ。シャイな子だが、懐かしげに駆け寄ってきた。

牧師さんにお礼を述べ、託された手紙の家族を捜して手渡し、チーフから借りた特大シャックルをお返しし、スウィングリーのお母さん宅で例のパンダナス・マットを受け取り・・・・と、カピンガ村での用事をアレコレとすませた。
二ヶ月前に観光客として村を歩いた時とは印象が違う。なんだか親戚の家々を訪ねてる気分だった。

3月27日(月)
銀行にて送金受け取り。現地紙幣に交換し、大包みに膨らんだ大金。
大事にしっかり抱えて、ミクロネシア政府へ燃料代立て替え分をお返しした。ほっとする。
それから、一日中、船台作り。そして、一日中、雨。大屋根の下で仕事出来るしあわせ。

3月28日(火)
いよいよ、組み立て作業。船台のパーツを埠頭に運ぶ。
「倉庫番のおっちゃん」が車で運んでくれて、物見高く集まった港湾労働者の方々にアレコレ説明している。

いざ作業を始めると、皆さん手を貸してくれ、お陰でテキパキと仕事がはかどった。
大和撫子?の助手一人では、とても出来ないチカラ仕事。

午後から「おっちゃん」は自分の仕事に戻り、港湾の人達もいなくなった、が、作業を始めるとどこからか助っ人が現れ、適切な力を貸してくれた。もくもくと、着々とシゴトが進み、船台は図面通りカタチになった。

 3月29日(水) 下記のリトグラフ作品はマウスをあてると作品名が記載されています
MANTA-road-1-2001041 MANTA-road-2-2001051 MANTA-road-3-2001061
息抜きの一日。ダイビングを楽しむ。
「マンタロード・ポイント」で、マンタの優雅な様を一時間以上見ることが出来た。
オニイトマキエイ・通称マンタ、大きさタタミ二畳分位。
その姿は太古の生物か?宇宙人の乗り物か?悟りの生き物のような、その動き・・・感動!
午後から潜ったのは、前回珊瑚礁のお散歩道風だった「パルキル・ポイント」
そこの見事な珊瑚が、ブルドーザーでひっくり返したように破壊されている・・・。
名インストラクターの「モチ(日本の若者)」、真っ青。2〜3日前に海底津波があり、そのせいだとか。
人間の破壊力もすごいが、自然が持つ破壊力を目の当たりにしたダイビングだった。

 3月30日(木)
小雨の中、小舟をチャーターしてナン・マドール遺跡へ。
30平方キロもある巨石海上都市の跡。玄武岩を積み上げたその遺跡は、いまだ多くのナゾに包まれている。
井桁状に組まれた石柱で造られた人工の島々、島は目的別に使い分けられ、その数98島。
島々は運河で結ばれている。
直径50~60cm、長さ数m、六角形に巧みに切り出された石柱は、全体で50万本も使われているという。
ムー帝国の首都なのか?幻のムー大陸は、一万二千年ほど前、突然の大異変で一夜にして水没してしまったと言い伝えられている。
ちなみにナンマ・ドールとは、こちらのコトバで「天と地の間」という意味。
かつて、石柱の都市がそびえていたのだろうか?大自然の破壊力の前に朽ちたナゾの文明、圧巻!!
=HINANO 船積み=

 3月31日(金)
明日は「エイジアン・ハイビスカス」の入港日。予定が遅れてるが、どうぞ、4月1日がウソでありませんように。
HINANOを埠頭まで曳航してもらわなければならない。

カピンガマランギ村からもロビンソン個人からも曳航の申し出があったが、帰港しているマイクロ・グローリーに声を掛けると、即OK。
前回は風子ちゃん接触事件があったので、今回は二艇の足舟で両サイドを挟むようにしてゆっくりと曳航。
またもや「グローリー様」の横腹にピタリ横抱き。
巨大船が入港するため、沖出しして投錨しなければならないとか。
「どうするのかな?」と思っているとHINANOを横抱きしたまま動きだし、沖で投錨。
コバン鮫よろしくマイクロ・グローリーにくっついてるHINANO。甲板長がギンガメアジ(体長40cm!)をぶら下げて乗艇してきた。
投錨後、すぐに釣り上げたとか。ありがたくいただく。

夜、ダイブショップ・フェニックスでお世話になった「モチ」の送別会。5年間ポンペイの海に親しんだという。
コーチャン板前となり、ギンガメアジの刺身を造る。いろんな仲間の持ち寄りパーティー。

 4月1日(土)
朝7時、水平線に船影発見!「エイジアン・ハイビスカス」の入港だ。
8000トンの大型貨物船、船会社は日本、船長・船員は韓国、船籍はパナマ、船名は英語。
甲板長に船台を補強するよう注文つけられ、材木、釘、金物など、買い足し、補強作業。

アレコレ面倒をみてくれたダイビング仲間の大使館員が、深夜便で帰国。見送りに行く。
飛行場と波止場は歩いて行ける距離。
1月にHINANOで入港した時、この飛行場も目印のひとつだったっけ、、、。
ついでに航空チケットの変更をする。
次便は、4月4日。
はじめの予定では、3月30日貨物船入港、31日HINANO船積み、4月1日空路、グアム経由成田着だったのだ。
これはチトうますぎる話・・・。

 4月2日(日)
漁船用岸壁に移動。漁船からマグロが続々と水揚げされる様子を見学。送り先は成田。
大トロ部分をどっさり頂戴した。ヨダレ垂らして見てたのかしら私達(笑)
雨のため、エイジアン・ハイビスカスの荷下ろしは自動車のみ。

カピンガ出身の議員さんが子連れで乗艇。
「HINANOのために、ミクロネシア政府が曳航用燃料代を立て替えること」を実行して下さった方だ。
国会議員というとお年寄りを想像するが、彼は若い!男の子は7〜8才位。

助けて貰ったんで言うワケじゃありませんが、こんなに若い人材を国会へ送り込むカピンガマランギの姿勢に、敬服。
船会社社長・ジョウが夕食へ招待してくれる。
あのイチコさんと又会える。頂いた大トロをお土産にした。

 4月3日(月)
コーチャン、日の出前から船台チェック、クレーンのベルト位置マーキング、などやる。
が、今日も一日中雨、、、、。貨物室のハッチが開けられず、セメントの荷下ろしができない。
セメントの荷下ろしが済まないと、場所が空かないのでHINANOは載せられない。

マイクロ・グローリーがカピンガマランギに向けて出港。HINANOの入り口差し板に全員の名前を書いてもらって記念とする。
スウィングリーの息子、ウィングソンと握手して別れる。カピンガマランギの小さな代表者だ。雨の中の見送り。

 4月4日(火)

16時過ぎ、
飛行機の飛び立つ時刻に
船積みが完了した。
(船内に収まったひなの)
雨のすき間をぬって船積みをするという。
まず、船台を船倉に入れて組み立てる。
グアムで手配されたコンテナサイズの頑丈な鉄枠(カンザシ)にスリングベルトが取り付けられ、HINANOの頭上に降りてきた。
ベルトの位置も決まり、いよいよクレーンで吊り上げられるHINANO!

でも、、、その前に縄梯子を伝って本船に乗り移るという苦行がある。
8000トンの船体が目前にそそり立っている、4階建て位の鉄錆びた壁。
ギョッとし、ビビッたが登るっきゃない。
揺れる縄梯子をシッカリ掴んで、上だけ見ながら一段一段登った。
船台の置かれた船底は、かなりの広さ。

しずしずとNHINANOが吊り上げられ、そして降りてきた。
右だ!左だ!もう少しコッチだ、アッチだ、ソッチだ!
ようやくキールが船台に乗り、補強作業開始。雨が、また降り出した。
ドシャ降りの中、金槌を握るコーチャン。
工具も手元も濡れて滑って、筋交いがうまく定まらない。

飛行機の予約はキャンセル。次便は4月6日。
鎖とロープも使って、HINANOの船体をますます固定する。

あとはHINANOの無事な帰国を祈るばかり。そして、今日は私達の結婚記念日でもある。・・・感無量。

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