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 夫、久我耕一(コーチャン)が急逝して百ヵ日が過ぎました。
ここ十年来躁鬱病に苦しんでいた耕ちゃんでした。
昨年11月29日早朝、自らの手で人生60年の幕を下ろしました。
大きな運命の波に巻き込まれ逝ってしまったコーチャン・・・・・。
千葉・富浦、愛艇ヨット・HINANOを留めてある海面が見下ろせる丘の上でした。
私たちの結婚生活37年は
「二人三脚」「ふたりで一人前」をモットーにシゴトもアソビも充実した人生でした。
常に全力投球で人生と向きあっていた耕ちゃんでした。
彼が築いてくれた大勢の仲間に今、支えられている私です。
他人の何倍ものエネルギーを使い、他人の何倍もの濃密な人生経験を重ねたコーチャン。
笑顔とサービス精神でいつも周りに活力を振りまいていたコーチャン。
十二分に生ききったコーチャンです。
人生の幕を自分で引いて閉じたのも、完璧を目指し、やりたいように生ききった彼の
最後の生きざまと、自分に言い聞かせ、悲しみと寂しさを埋めている日々です。
苦しみから解放され、やすらかなおだやかな相でいてくれたのが、せめてもの救いでした。
やすらかになった耕ちゃんがいつもそばにいてくれる、
これからも「二人三脚」「ふたりで一人前」ふたりぶんの時間を過ごしてゆくつもりです。

ありがとう   耕ちゃん   ありがとう

今頃になっての訃報お知らせと、お年賀状を頂いた方にはお返事も差し上げず
 真に申し訳ございませんでした。
 胸中お察しの上、お許し下さいませ。

追記

耕ちゃんが2004年12月8日から立ち上げた「モクモク日記」は2008年11月25日火曜日で途絶えました。
翌11月26日水曜日はそれ以前の数日間と同じ容態。
「一日、一日必死で生きているんだ、、、、」が
「一日じゃなく、一分、一秒必死で生きてる状態になっちゃった、、、、」耕ちゃんでした、ため息と寝汗とともに、、、、。
夕方、力を振り絞って出かけた「ケンノスケカップ初の忘年会」は横浜でした。
必死で「普通」に振る舞っている様子が痛々しく、でも他の人たちには「普通」に感じられ、本人もそれを切望していたのでした。
帰路も必死、ようやく帰宅でき椅子に倒れ込んで「僕って『普通』に見えたでしょ?」

・・・・・疲れ切っていました。

翌11月27日木曜日、夜明け前からコーヒーの香り。
(また早く目覚めたんだわ、そっとしておきましょ、私はまだ眠いし)
朝起きると「富浦へ行ってきます」のメモがテーブルの上にありました。
「富浦に着いた、眠いから眠るね、おやすみ」の電話。
(たまにはひとりになりたいのかな、それもいいかも)
何回か電話のやり取りで日常会話。

翌11月28日金曜日、昨日から何やら動き回っている様子。
「まだ終わらない、もう少し」とか、電話の向こうで息が荒い。
(今日は母・ももちゃんの一周忌の命日だし、富浦へ行ってみようかな?)
(ひとりの時を邪魔しても、、、、。私もやりたいことあるし『コレが本音かも』)
夜、電話が通じずあせって短いメールを何度も入れる。
メールの返信ではなく電話がかかってきて少し安心。
「流動食ではなく、ステーキとポテトの夕食を食べた」と。
(よかった、これでまた元気になるかも〜)
留守の時帰宅したら寂しいかもしれないと、明日・明後日・明明後日の私の予定を告げる。
「ツーセはツーセで好きなようにすれば」との返事。
(それもそうだね)

翌11月29日土曜日、なぜか午前3時に目覚め針仕事に励む。
耕ちゃんにメールしたかったけど、起こしても悪いからとガマン。
夜が明けてから電話するも通じず、メールも応答なし、ケータイを何度も、何度も・・・・。
7時過ぎに館山警察からの電話を受け、瞬時に悟りました、逝ってしまったんだ。。。。。と、

前文にも記しましたが、うっとりするほどやすらかな相で横たわっていました。
駆けつけてくれた海の仲間と一緒に入室した自分だけの城のアパート。
彼がひとりで細工した板の壁は大・中・小に分けて外してありました。
板の壁に展示されていた写真の数々も、整理してありました。
普通の心身でもハード過ぎるこの仕事量!!たった2日で、、、、。

国分寺の自宅へ向かう夕暮れ、虹が行く手で迎えてくれました。

モクモク日記の愛読者?の皆様、耕ちゃんの動きに一喜一憂なさって下さった皆様、
長い間、どうもありがとうございました。

2009年3月8日百カ日・愛艇HINANOにて仲間艇と共に、富浦で海散骨の儀。
翌3月9日・HINANOを浦賀のマリーナ・ヴェラシスへ回航。
たくさんの想い出を乗せたHINANOともこれでお別れ。
愛艇HINANOはここで次の主人を待つことになりました。

モクモク日記はこれで終了ですが、長いページはそのまま残しておきます。
耕ちゃんのおびただしい独り言にたまに耳を傾けたくなったらどうぞ。

躁鬱病以前、2000年以前の久我耕一は元気溌剌、有言実行、常にハッピーでした。

「しあわせな人生だった・・・・・」と言ってました。

ふたりで辿った旅路を二人三脚で、これからも描いてゆくつもりです。

  久我通世 展 2009 -想い出の旅路・道- 


            2009年3月 久我通世 記