思いついたままのくだら話
2005年7月20日、記



このところのモンモンとした日々を自分なりに分析してみると(かなりあまい自己分析であるが)
何か根本にある根本的原因が最近ひしひしと感じるのである。
自分の恵まれた環境、それの一つには「コマネズミ」とあだなされた僕の動きのせいでもありそうな感じがするのだがこんな事を列挙すると「何をほうけた事を」とお叱りを受けるのは充分覚悟で思いつくまま書いてみる。

そもそも自分が時代の最先端を行くような団塊の世代特有の自殺未遂をやりかけた「鬱病」
(カウンセリングを受けた医者に言わせれば<医学書に書かれた代表的な症例>らしい)
その根本的トラウマは二つあるような気がしてきた。

関係者の方々にはまことに申し訳ないと充分理解していると思うのだが僕の身勝手と理解してください(本当に申し訳ありません)
タイミング的に見てその一つは無二の親友の「やり残した事があまりにも沢山あるのにかかわらずくやしながらも死に至った現実」そして「一番身近にあった甥っ子の今ではどうしてもその理由を本人に聞くことが出来ない自殺」
それにもかかわらず自分が恵まれた身体で生きていることの罪悪感。

なぜ罪悪感を感じなければいけないの?
しかしもちろんそんなことは僕自身で考えてもどうしようもない事と頭の中では理解しているのだが感情的に責めてしまうから苦しいけど致し方ない。
そこから脱却しようともがけばもがくほどドツボにはまっていく。

自分の好きなことを仕事に出来お陰で好きな海にもこれ以上の幸せはないほど恵まれ好きな自然の中に身を置くことも出来快適な自宅がありそして沢山の友人がいて全く不満はないはずなのに、
それなのにその環境の中に入るとなぜか生きていることに罪悪感を感じてしまい動けなくなってしまう。

その幸せな環境下に存在出来ることは沢山の友人や通世の支えもさることながら自分自身の努力の結果と自負もしている。
(自信過剰ではあるが)
また人間は一人の力では生きていけない事もわかっているつもり。

以前出会った言葉「而今」(今を生きる)を座右の銘としようと試みたのだがそこまで悟れない。

どうしてこの僕が勝手に罪悪感を感じなければいけないのか他人から見たらしかられそうな事もわかっているつもりなのだけどそうなってしまうから致し方ない。

少なからずの方々に今の状態、ご心配おかけしているが自分自身で脱却しようと努力をしているのでもう少し心配し続けると思う。
あまり考え込んで(これが僕にとって一番苦手なのだが)努力することも良くない事も理解している。

しかし自分自身でいつか解決出来ると思う、これも自信過剰かな?