NO3 また、いつの日か
1981年2月1日〜2月12日
最南目的地よ、さらば!また、いつの日か!
ということで、郵便局、食料買い出し、撮影、最後にパン屋へ。
4本のパンを手に入れるのに延々並んでなんと3時間、東京の朝のラッシュアワーよりスゴイ!
もみくちゃのコーチャンが両手に抱えてきたフランスパンの美味なこと。
水、ガソリンはなく、100Km先のスタンドで入手。
例のデコボコ道をガタゴト走った。岩山の重なりを記憶に刻む。
明日はあのオレンジ色の砂丘に会えるか?今夜は久しぶりのラムステーキ、そしてシチュウの仕込みだ。

1週間程前に走った道を辿る。ガソリンスタンド、お茶屋、たまにはえている木、岩の形、それぞれが、懐かしい。
途中で追い越した自転車の旅人にも、また出会う。彼はあのデコボコ道をどんな思いで漕いで行くのだろうか。
今日のフィナーレはオレンジ色砂丘での焚き火。

日の出前に起きるが、珍しく雲が多く、撮影は断念。
無草木地帯に大海のうねりのごとき砂丘が連なっている、が、やがて砂嵐、、、、。
砂漠に「雲」は、「嵐」の前兆らしい。
砂嵐の中、IN SALAH(イン‐サラ)到着。
車は風を受けた右半分だけサンドペーパーをかけたように、泥も錆も、塗装までも所々剥げている。げに恐ろしき砂嵐かな!
しかし、もっとオソロシイことは、エンジンが掛からないこと。またか!!

幸いなるかな、ここはあの親ビン修理屋のあるオアシスだ。
歩いて修理屋へ向かい、またお世話になる。バッテリー不足とかで、充電してもらい、夕食もまた親ビンさん宅でごちそうになった。
おいしいクスクスに、魚(鰯?)のスパイシーフライ。魚はどんなルートで来るのか?やはり、スペシャルメニューのようだ。

民芸調のアフリカチックな「マスカラ入れ」をお土産に頂く。
親ビンさんのマスカラ付けジェスチャーは歌舞伎役者顔負けの演技で、一同笑い転げた。
細い木の筒にカラフルな皮の吹き流しが付いたお土産は、車の「御守り」としてぶら下げ、長年大事にしてたけど・・・・
今はどこへいったかな?

その後、お気に入りの砂丘の側に陣取り「サハラ三昧」の日々。砂漠散歩を堪能。

無人の直線道路で、

こんな特写も

今回最後であろう「テント風呂」にも入り、途中のオアシスで手に入れたラクダ肉は、ステーキにしてサハラの思い出に加えた。
このサハラ紀行で砂漠の美しさ(恐ろしさも、また)以外で一番心に残ったのは、やはりオアシスと水。
『旅の思い出・樹々や花々より』の2005年2月にヤシの木の話しを取り上げました。
    (別ウインドウで開きます)

19313 チュニジア 200×300
Date Palm U
砂の海に浮かぶ小島、オアシスに到着。鳥のさえずりにほっと一息、
サンタくんをナツメヤシの木陰に止め、ぶらぶらと散歩に出かけた。
オアシスのはずれに垣根のようなものが・・・・?

近づくとそこはスリバチ状の大きな穴の縁、のぞき込めば底の底にナツメヤシの苗木が一本、
心細げに空を見上げていた。
ナツメヤシを育てているのだ!こうやって育ってゆくナツメヤシなのか!穴の直径は4〜5m。
ひとつ、ひとつ穴の底をたずね歩いてみた。

思わず声をかけたくなる風情。
葉っぱだけ砂から覗いてる木、うれしそうに幹が伸びた木、「ガンバッテネ!」
ナツメヤシの大きな枯れ葉で作った防砂垣を越え、たくましく育っている木もある。

「もう少し!」元気に育ってと祈りつつ歩いたオアシスのはずれ。
登って蛮刀でカット
クリック
収穫、選別
クリック
甘〜いナツメヤシの束
クリック
絶え間なく吹く砂の風、じっと立っていると足元が埋まってくる。
照りつける太陽、夜間は凍る大気。
枯れきって砂に埋もれた苗も多い、、、、、。
また新しい苗を植え替えるのだろうか。

砂漠の民の汗の結晶に頭が下がる。
オアシスのヤシの根元は、保水のため窪ませて菜園にもなっていた。
ナツメヤシの甘い実は、滋養たっぷりのエネルギー源。



サハラの共同つるべ井戸



オアシスの共同井戸は、たいてい町はずれにある。
生活の汚れが流れ込むのを防ぐためだと思う。
あるオアシスにたどり着いた時、井戸には長い列が出来ていた。

私たちはその時、飲み水や料理用の水はタップリ持っていた。
でも、「なんだかオモシロソウ!井戸の水、汲んでみたい」と、
バケツ持参で水汲み行列の仲間入りをした。

先頭の兄さんがこっちへ来い、と合図する。
みんなも黙って列を空ける。
「え?なんだか申し訳ない」と思いつつ先頭へ。
なんとその兄さん、深い井戸から、水を汲み上げてくれた。
つるべの井戸、長いロープの先には古タイヤ切って作ったバケツに水が満々。
ありがたく頂き、車に運ぶ。貴重な水。茶色く濁った砂色の水。

洗濯にでも使おう、と気楽に水汲みに加わったのが恥ずかしかった・・・。
バケツの水をこぼさないよう、ソロソロとそこから離れた。

炎天下に静かな水汲みの列。
旅人に先頭を譲る、砂の海につちかわれたひろい心。
そんな砂漠の民が作り上げたオアシス。
北上するにつれ、サハラ砂漠を出た実感、思い出は後ろへ、後ろへ。

川に水がある事、オアシス以外に木が生えている事、オアシスでもないのに家がある事、風景が変わる事、
草がたくさん生えている事、羊飼いもたくさんいる事、車がいつも視界にある事、とにかく人工物が見える事。

首都アルジェ近郊には野生の水仙が今を盛りと咲いていた。黄色い水仙の丘、香りの丘。
サンタ・カルロッツアの中には久しぶりに花が飾られた。そして、はじめて小雨に会う。
ここはもう、緑豊かな土地なのだ。その日の夕食は、水仙のテーブルでピースご飯。

帰路は隣国モロッコよりスペインへ。
モロッコは今までの二ヵ国と比べると物価が超お安く、品数も豊富。国境の街Oujda(オウジャ)でお土産ショッピング、
値切りゲーム?もまた楽し。
この時手に入れた「ふいご」は、いまだに活用している。

正確にはアフリカ半島内のスペイン領Melilla(メリジャ)よりスペインAlmeria(アルメリア)へ。
7時間〜9時間のカーフェリー、一等と二等では天と地、雲泥の差なのでファーストクラスにした。
一等船室でもお湯は出ず、水で洗髪、身体拭き・・・。

私たちの気持ちはその時もう、次の旅へと向かっていた。
今回のルート(別ウインドウで開きます)
サハラの思い出を胸にしまって、新たなジプシー生活の始まり。

スペイン・バレンシアで友人宅に居候しつつサンタ・カルロッツアの修理、
「アシタ マニャーナ(明日があるさ、又、明日ね)」のお国柄なので、いつ直ることやら、、、、。
でも、サハラで鍛えた?時間感覚で過ごせば平気のヘーザだ。
十日足らずで車は完治し、その後はポルトガル、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ撮影の旅。
仕事半分、アソビ半分。
お天気と自然条件が揃えば仕事ととなる。

十年目の結婚記念日をパリ郊外の白い花咲く森の中で迎えた。
その日のデイナーは兎半羽、脚はパエリャに、頭・胴体はワイン煮にした。
と、日記に記していた4月4日。
4月末には愛するサンタ・カルロッツアを手放し、5月中旬帰国。

1年半、2台の車で走った距離・47843Km、と、マメな夫の記録が日記の最後にあった。

次回の旅は、、、、?