旅のお土産話トップへ戻る   旅のお土産話 vol.7
=HINANOを連れて帰るには=
200112 ゆらり、ゆぅ〜らり、くらげ達がたゆたっています。
すぼんだり、ひらいたり、さかさになったり、あっちむいたり、そっちむいたり、ふらり、ふ〜らり、漂っています。
「いいよねぇ。君たち、なんにも囚われなくって。
のんびり、お気楽ですよねぇ」
透明な水面に、ちいさなくらげ達の遊泳する姿、海底の白砂にはHINANOの影が青く映っています。
デッキ(甲板)では、コーチャン艇長が悪戦苦闘、HINANOを日本へ連れて帰るために知恵振り絞り、汗だくの作業を続けています。


はじめに、船底チェックのため水中ビデオカメラを持って潜りました。ダイビング用タンク初使用。
ヨットを走らせるのにとても大事な部品が、メチャ、クチャ、、、、。
スケグ根元より流失、ラダー(舵)シャフト90度曲がり、ラダーも半分もぎ取られ、プロペラ・シャフトカバー割れ、プロプラ変形。4.5トンの鉛のキールエンドが柔らかい物のようにグニャリと360度ねじれ、キールの付け根にヒビ、ウインドベン破損、、、。
これで、よく水漏れしなかったものだと、ビデオを再生しながら冷や汗が出ました。
ハル(船体)は少しの傷しか見えないのです。一人娘HINANOの丈夫さに改めて敬礼。

私達が今やらなきゃならんことは、航行不能にさせてしまったHINANOを、無事日本へ送り届けること!!この段階で、私達の狭い脳裏には船積みしか思い浮かびませんでした。
もうひとつの方法、曳航(強い船に引っ張ってもらう)は、危険がイッパイと思い込んでいたのです。ヨット「マリン・マリン」の事故等が頭をよぎって、、、。

海人カピンギィーとカピンガ環礁の素晴らしさを綴ってきましたが、今、HINANOが元気でいられるのも彼らのお陰と、つくづく思えます。どんな経路を経たかというとーーー

電気も電話もないこの島では、P.M.5:00からの無線通信が唯一、外部との通信手段です。座礁した翌日から夕方には無線室に通い詰めでした。交信のマイクを握るのはチーフ、サキです。大型船ボイジャーへの船積みは、おおむね大丈夫らしい。人口9名の姉妹島オロルクとも交信してもらい、帰りに立ち寄れないこと謝りました。
無線通信だけでは時間も相手も限られるので、翌日からはイリジュウム(衛星携帯電話)持参で上陸。交信しやすいように広場の真ん中に設置。ボイジャーの会社へ直接交渉してもらういました。ぐるりと人垣。沢山の見物人。特に子供達は、興味津々の輝く瞳。
衛星電話はこの非常時に、大活躍。

セール(帆)とブームを取り外したHINANOの姿は寂しいものです。
ソンナこと言ってられません、ボイジャーへの船積みへ向けて全精力を傾けるコーチャン。船積みするにはマストを抜かなければならないのです。高さ18m、太さはマダムのウエスト(笑)このマストを一体どうやって抜くのか?全てのステイを取り外し、代わりにロープで固めました。バックステイ、フォアステイ、サイドステイ、シュラウド、ジブ・ファーリングドラム、、、、。少ない工具でマスト抜きの準備着々。
スピンポールとブームでクレーン作製。

チーフ、再び船会社へTEL。船積みはまだ確定ではない、、、、が、マストを抜かなければ船積みはできない!
月曜日(2/21)A.M.10:00マスト抜き予定。10名程、助っ人を頼みました。
この太いマストが、果たして人力で抜けるのでしょうか?
「力学的には可能」と、コーチャン艇長は言ってますが、、、、。


土、日は無線通信もお休み、船会社も休みなので、衛星電話もなし。
こういう島に来て、曜日を気にするなんて、なんだかヘン。
桟橋でジブセールでもたたむかな〜。早速、子供達が寄ってきてお手伝いしてくれました。ほっと楽しい時間でした。そう、そう、土日はノンビリしなくっちゃ。
日曜日は教会へ。
牧師さんから私達の紹介があり、HINANOのためにみんなが祈ってくれました。
素朴なゴスペルソングに心安らいだひととき。

そして、いよいよマスト抜き当日、9時頃から島の人達来艇し「スタンバイ、いつでもO.K.」という感じです。コーチャンの力学的説明と作業の手順は、全員すぐに理解しました。
(私、理解力が一番乏しかったみたい、、、、)
艇長の指示に従って、気持ちをひとつにし、各ウインチに少しずつロープを巻いてゆきます。マストが床から離れた!じわじわと上がってゆく!!・・・・が、80cm程抜けたところで左右に大きく揺れ出したのです。危険を感じて元に戻すことにしました。
手に汗握る2時間のドラマでした。
お礼のティータイムは、アルコール抜きのフルーツパンチ(果物缶詰ありったけと氷どっさり)お菓子色々。おしゃべりしながらのおやつタイム、またひとつ和の輪が広がったようです。
なにはともあれ、マストが抜けることは確認できたので、大型船ボイジャーのクレーン使用に懸けることと決定。

チーフは無線でミクロネシア政府の議員(カピンガ出身)とも交信、そのお陰?で日本国外務省・法人保護課よりTEL、ポンペイの日本大使館へも連絡と、ハナシがどうも国際的になってきました。
2月23日・ボイジャーでの船積み確定、3月3日カピンガ着らしい。
ボイジャーは日本から贈られた船で、ドック入りのため今年3月日本行きとか。
そうなると、HINANOはそのまま日本へ運べますね。
なんという夢のようなハナシでしょう!!

私達は一息ついて、残り少ないカピンガマランギを心から楽しむことにしました。
「夢のようなハナシ」は3月に入ってから、だんだんと中味が変わってきました。
ボイジャーのクレーン、安全吊り下げ重量・はじめの話では10トンが、実は7トン。
ウーーム、艇を軽くすればギリギリでOKか?到着は3月4日。
船積みの本格的準備のため、すべてのステイ類は、第一スプレッダーからハンギング用ロープを掛けてマストに固定してあります。

あとは、降ろせる物すべて降ろして、艇を軽くするっきやない、ということで、デッキ上は帆とロープの山。キャビン内も荷物の山。テンテコ舞い!引っ越し準備中という有様のHINANO。ソンナなか、連日お客がゾロゾロ。「ビデオ見せてねぇ」とやって来ます。
ま、こちらは「昼寝するからね」と言ってお帰りいただけるのでしたが、3月3日の無線交信、クレーン可能重量5トン・・・というのは「悪夢のようなハナシ」でした・・・。船積みは絶対無理。キールだけで4,5トンなんですから。

それでも、翌早朝到着したボイジャーでマスト抜きを試みたHIHNANOでした。 いつか沖を通るかもしれない大型船に、船積みできたらという一縷の望みを抱いて。
16チャンネルで船長と交信。「ラダー(舵)はOKか?」
まさかの使用。油壺出港時に「まさかの時のエマージェンシー・ラダー」ってヤツをABS特製で考案してくれてたのでした。教わった通りスピンポールを利用して取り付けました。「博人様、ありがとう!」
13:00 抜錨 足舟2ハイで曳航、1時間後、環礁のパス通過。

大型船は環礁内に入って来られないので、外洋での作業となってしまうのです。
ボイジャーの右舷に寄せる、が、うねり高く近寄れないっ。うねりの少ない海域で再度挑戦するが、マスト抜きどころではないっ。
暴れる巨像に立ち向かう子ネズミのよう。押しつぶされそう、一発触発の危機。風子ちゃん(風力発電)のしっぽ接触破損、、、。
船長と交信して今回は諦めることにしました。安全第一です。この交信でマイクロ・グローリーが次週来島予定というニュースをゲット。あの船なら、静かなリーフ内でマスト抜きが可能かも?

帰路は足舟3バイで曳航、NHINANOには2人乗り込んでロープ整理や錨のチェーン掛け等色々手伝ってくれました。

チーフの家の前に錨を降ろし、挨拶に行きました。サキとケシアは、もうビックリ仰天!
「もう一度来るからね、という約束を果たしたヨ、ちよっと早すぎたけど、、、」
すかさずケシアが応答「HINANOと二人がもっと長く居るように神に祈ったのよ」
その祈り?が通じたのです。私達はスグの再会を喜び合い、またカピンガを楽しむ気持ちになったのでした。
3回目の日曜日が巡ってきて、教会では私達のために長いお祈りがありました。
アリガタイコトデス。カミでもホトケでも全てひっくるめて祈りたくなる心境デス。


マスト抜きの妙案、もうひとつ。
桟橋にクレーを組み立てて抜く方法はどうでしょう?さっそく水深チェック。満潮時で2m位。可能では?
事あるごとに手を貸してくれるハーレに、桟橋の案を相談。彼はカピンガ海域を知り尽くしています。「水深のある砂浜でHINANOを傾け、生えている椰子の木を利用して抜くのが、島で出来る最良の方法。一番安全なのがマイクロ・グローリーのクレーン」 というのが彼の意見。でもそれを押しつけることはせず、クレーン用の木(約10m)
は、ヤシよりパンダナスの方が軽くて良いという。大勢で無人島へ切りに行ってくれました。

その後、ポンペイ日本大使館で色々調べてもらいました。職員の一人がダイビング仲間だったのも心強く、幸いでした。
ボイジャー、日本でのドック入りは来年・バツ
マイクロ・グローリー、他島へ出航予定・バツ
沖を通る大型船、航行予定不明、、、、 ・ バツ
日本からの大型船3月30日ポンペイ入港、4月はじめ日本へ出航予定・おおマル印!!
この大型船にポンペイで船積みできれば!!それには、ここからポンペイまで「曳航」しか手段はありません。「マスト抜き」の件は、白紙となりました。

コーチャンほとんど眠ってない様子、策を練っているのでしょう。ポンペイまで運ぶのに「曳航」に頼るのなら、マストが立っていた方が安全なのです。「ヨット」なんですから。曳航による事故などがあり「曳航」は「危険」だという先入観を抱いてましたが、ンナコト言ってられマヘン。今は「どうしたら」安全に曳航してもらえるかという一点のみ。

一度抜いたマストですが、素人?で固定できるのでしょうか。
工具一式取り出してマスト、リギンのセットアップ作業を始めた艇長でした。
「ウ〜〜ム!ダメダ、、」いくら私が怪力?でも、そこは大和撫子、チカラ及ばずの助っ人、、、。
困ってた時に近づいてきた小舟あり。男2人、娘1人。トシオさんという熟年の方は、さすがトシの功、チカラもあって頭も勘も鋭く、コーチャンと息がぴったし。ポンペイにいるお母さんに電話をかけたいという娘さん、セシリアは遠慮深く、シャイです。
15才位かな?トシは、はたちと聞いてびっくり。お母さんと電話で話せた後は、鼻歌まじりの思い出し笑い。そのうれしそうな様子に、こちらもハッピーな気分になりました。
そして、お陰様でマストも元通りに立ったのでした。ありがとう!よかった、よかった!

ところが・・・・イリジュウム社からTELです。なに?何?
「アメリカの本社が倒産し、3月18日(日本時間午後2時)をもって衛星携帯電話の通信不可となる」というお達しです。あ〜〜あ・・・・3月8日のことでした。
それまでになんとか、電話のあるポンペイまで曳航してもらわねば。
この先、何が起きるかわかりません。衛星電話がダメとなると、アマチュア無線が唯一の通信手段です。アンテナをセットし直し、オケラネットとシーガルネットに通信を試みました。HINANOの送信弱く、つながりにくい・・・。
今思うと笑い話ですが、デンワゲームの様に、次々と伝えて行くので、ハナシがずれちゃうのです。どんどんオーバーになったり、場所がめちゃくちゃだったり。ま、「カピンガマランギ環礁」なんて、スラスラとすぐには言えませんよね。「それって、どこ?」ミクロネシアったって島数ン万?だし・・・。小笠原の山田さんが各局にFAXを流して下さることになりました。曳航が始まったら、交信はHIANO最優先ということに。
アリガタイコトデス。デモ、いつ、どの船で・・・・?

島へ上陸し、ハーレにマスト固めの件を伝えました。色々迷惑をかけてしまって・・・。
夕方の島は、囲碁やカードを楽しむ人達、昼寝やなんとなく、くつろいでいる人達。のんびりムードです。アクセクしてるのは、私達だけ。いかん、いかん、、、と、反省。
久しぶりに、お隣の無人島へ海水温泉浴。さっぱりしてくつろいでいるところへ、エンジン音。チーフと少年(7〜8才)。足舟の中は丸々とした特大キハダマグロ、その他イロイロいっぱいです!この島では、自分の今日の糧は自分で捕ってくるのです。たとえ、チーフや先生であろうとも。それが生活なのです。スゴイ。

私達は、頂くばかりですが・・・。美味しくありがたく、お刺身をいただいているところへ、スウィングリーの家族来艇。ポンペイへ電話。やはり、のんびりと長いなが〜い話。「ナントカ〜、カントカ〜、ウワ〜」(ウワ〜は、はい、YES、の意味)波のリズムの様な話し口調。マイッタ、、、、。「1分3$もするんだから、大急ぎで用件だけ話さなくっちゃ」ナンテ、全く思わないらしい。私達、日本人って、せせこましいのかな〜。
夜、オケラネットではなく、シーガルネットと交信。こちらは、1時間半くらい。

翌日からは電話作戦。チーフも無線であちこちと交信。日本国サイドはコスラエの「曳航会社?」を紹介して下さる、が、机上論デス。現地での動きが一番。邦人保護課には実情を説明し、日本サイドからの援助はお断りしました。
ポンペイで曳航可能な船、タグボート、パイロットボート、キリスト教伝道船など候補にあがりましたが、すべてダメ、、、。予定が入ってたり、他島へ行ってたり、工事中だったり、、、。結局、あのマイクロ・グローリーに決まったのでした。

あの船なら、あのキャプテン・ヨシローなら安心しておまかせできます。
お金はかかりますが。燃料代だけでOKだったのですが、ソレガ=$1,6690です。なにしろ一人娘を救うためです。はじめから縁があったのでしょう。
2月15日夜明けの水平線に浮かび上がった船の姿が目に焼き付いています。
どうか、早く迎えに来て下さい。

・・・・が、グアムのモービル社に燃料代を支払わないと船は動けないとか。
色々な送金方法を考えましたが、どれも無理があり、ポンペイの日本大使館もお手上げ。結局、非常時ということでミクロネシア政府が立て替えてくれることになったのです。
ここ、カピンガ出身の議員さんの働きかけとチーフのお陰です。

お次は、曳航用のロープが無い!あちこち捜し、オーストラリア大使館で見つかり、その問題もギリギリで解決しました。
そして、マイクロ・グローリーは3月16日午前8時ポンペイ出港、18日朝カピンガ到着予定となったのです。
出港が決定したのは3月15日カピンガマランギ・デー当日でした。

 旅のお土産話トップへ戻る