旅のお土産話トップへ戻る   旅のお土産話 vol.4
<カピンガマランギにて>
 
「座礁の原因は?」心配顔で尋ねてくれる島人達。口ごもっていると「エンジントラブル?風が強かったの?それとも・・・?」
思い切って答えます。「二人揃って居眠りしちゃったの。海が平和すぎて、ワイン飲み過ぎて・・・」「ッハッハッハ」破顔爆笑。「そいつぁ、いいや、ま、ゆっくりしてゆきな。」
どこへ行っても同じ質問。答えると笑いの渦。そして「のんびり すごしな。」と親しみを込めて言われるのです。自責の念で、正直、メゲていた私達ですが島の人たちに笑いとばされ、元気復活。
「のんびり やるっきゃないか。」とHINANOお不動様の上で腹を決め、次の救出作戦に取り組む事にしました。
 
期せずして一ヶ月以上滞在できたカピンガマランギ環礁。
そこは北緯1度、ほぼ赤道直下にあります。
HINANO救出作業の合間に、環礁の豊かな自然を楽しみ、島人の暮らしに生活の原点を教えられた日々でした。
いよいよ島を後にする日が決まると「次回はセーリングで!」そして「Don't sleep」「大きな目覚まし時計を積んでおいで」、座礁事件を笑い飛ばしてくれた人達。「いつか、また、きっと!」と約束しました。
      Lagoon 1(0313)Lagoon 2 (0314)
 
電気も、ガスも、水道も、電話も、郵便局も、車もない。お店は一軒、それも開いているかどうかわからない。(ほとんど空っぽの棚が数段並んでいるだけ)そんな、ナイナイ尽くしの島です。
滞在中、訪れたヨットは2艇。ドイツ人の若いカップルは「コインランドリーがあるのよ。」と言って2日でチュークへ去りました。「電話局でEメール打たなくちゃ。」アメリカの老カップル(69歳、航海4年目)も2日で出航、ポンペイへ向かいました。「ここは、なんにもナイからね。」と肩をすくめながら。他人の事は言えません。HINANOだってポンペイへ着かなければ、どうしようもナイのだけれど・・・・。
 
カピンガマランギは本当になんにもナイ島なのでしょうか?とんでもナイ!
豊かさに満ちあふれた島です。HINANOのお陰で有形無形の「豊か」に接することができた私達でした。
=暮らし方=
 
北緯一度、ほぼ赤道直下、カピンガマランギ環礁は三十三の島々が首飾り状に、弧を描いて並んでいます。
すべての島の標高は2〜3b位でしょうか。椰子の木が空高く繁り、風に鳴っています。人が住んでいるのは二島だけ。SOUHOU島は、幅200b、長さ150b、UERU島はちょっと大きく、幅400b、長さ400b。ふたつの島は頑丈な鉄筋コンクリートの橋でつながっています。橋から見下ろすと、浅瀬に壊れた橋桁が転がっており、サヨリの群れが漂っていました。巨大な台風に襲われて前の橋が壊された残骸とか。鉄筋コンクリートが、一見場違いに見えましたが、島の暮らしを守る大事な橋でした。二島は、ほんとに肩寄せ合って暮らしてる感じです。樹々の間にバンダナス葺きやヤシ葺きの家々が点在しています。風除けに珊瑚の塀で囲んであるのは沖縄などと同じです。

人口の多さにびっくり!
400〜500人。
子供が多いのにもビックリ。
通学している子(6,7才〜15才位)だけでも120人位。
幼児も赤ん坊も沢山いてにぎやかです。
幼い子の面倒をみるのは、お兄ちゃん、お姉ちゃんの役目。子供達はよく遊び、よく働きます。家の手伝いはアタリマエ。私達が足舟で浜に近づくと、何か手伝うことはないかと待ちかまえています。とにかく身が軽いのです。
男の子は7,8才から漁に出て、大人が海を教えます。そうやって育った人達がいて、HINANOは救われたのだと納得しました。海は遊びの広場です。子供達は、着の身着のまま、海へ飛び込みます。
大人達も同じです。浜を歩く歩調で、ワンピースのまま、ス、ス、スーと海へ入いり、赤ん坊を抱いて、海の中で井戸端?会議。
暑い時も海、夕涼みも海、海の中。ここでは、海が陸の続きのように広がっています。広い広い庭です。珊瑚の庭園に色とりどりの熱帯魚。
ヤレ水着だ、マスクだ、シュノーケルだ、と身構える私・・・。修行が足りん!

海に面して立つ舟小屋は人家より立派で、手作りのアウトリガー・カヌーが、出番を待っています。
その向こうに、「マンハウス」があり、ここは男衆が男の子に漁や海のことを教える場とか。風通しのよい大屋根の下は、憩いの場でもあります。
宝貝の駒で囲碁を楽しむ人達がいつもたむろしています。
外野の方が熱心なのは、いずこも同じ。
マンハウスの大屋根の内側には、頑丈なイール捕獲篭がずらりと並んでいます。手作りの美しい篭。これでウツボを捕らえるのです。
そして、特別なときに食べるらしい。カピンガの人はウツボをイールと呼びます。
「イール・バーベキューパーティ」が楽しみ。

島では朝7時になると、ホラ貝が鳴ります。「プォォォォー、おはようございます」その前にニワトリの声、その後は餌をねだるブタの声。にぎやかな声は、沖に停まるHINANOの目覚まし時計。
夜、9時になると「プォォォォー、みなさん、そろそろ、おやすみなさい」の合図。
時計は不要な生活です。このホラ貝の合図は、おおらかな島時計。
夜釣りに出る舟がいるとき、浜ではたき火が焚かれます。灯台の役目です。
島の人たちは、お昼寝が大好き。ハンモックでゆらゆら、ゴザの上でごろごろ。ゴザと呼ぶには上等すぎる、寝心地満点のパンダナス・マット。もちろん手作りです。パンダナス(タコの木)の丈夫な長い葉を干して乾かし、細く裂いて二重、三重に編み込んである、とっても手の掛かった敷物です。
皆が使っているあのマットをHINANOに敷いて寝たら、どんなに気持ちがいいかしら。
初日以来、気安い友人となったスウィングリーにマットの入手方法と値段を尋ねました。彼は島一番のチャカリ者、・・$だけど、衛星電話使わしてもらえば・・・と、いいながら、サイズを計ってゆき、後日ぴったりなのを届けてくれました。チーフの奥さん、ケシアからも市松模様が美しい自作の大きなマットを贈られました。「ツーセのお母さん用に」と。ありがたく頂き、すぐにHINANOで使用。寝心地満点〜。
そんなマットは折りたたんで、赤ちゃん用のハンモックにもなっています。たたんでも、洗ってもOK、丈夫なのです。
熱帯の夜、バンダナス・マットの涼しい感触を楽しみながら、カピンガは、なんて贅沢な所、と改めて思いました。
家の屋根も壁もバンダナス製は丈夫で10年はもつという。でも、それを作るのは根気仕事です。
バンダナスの実は一見、パイナップル風。オレンジ色に熟したのをバラしてしゃぶると、甘みが口に広がります。島のおやつ。
一番簡単な手作り品は「パンの木の葉うちわ」。パンの葉は、ヤツデの葉を伸ばして大きくした感じ。そういえば、ヤツデの葉も天狗さんが「うちわ」にしてますね。パンの葉は、もっと厚くて丈夫で、ピカピカです。そこらに落ちている葉っぱを拾って、適当な大きさにちぎってパタパタ〜。教会内は暑いので、この「うちわ」が大活躍。お説教の最中もパタ、パタパタ〜。こちらは使い捨て。
=偉い話・椰子の木=

南の島といえば、椰子の木、椰子の木といえば南の島。椰子の木は南の島の王様です。
生活をになっているエライ木です。
[椰子の実]
椰子の実ジュースは、ほのかな香りと甘味があります。蛮刀で実の付け根側を切り落として穴を開け、ゴクゴク、ゴク。漁に出る時は、天然水筒として必携。無人島へ出かける時は、蛮刀一本あればOK。どこへ行っても「椰子の木島」なのだから、のどが渇けば登って取ります。人を訪ねると、まずこれが差し出されます。「ま、お茶でも一杯」という感じで。食事の時はもちろん、散歩してても、通りすがりに、「どうぞ」と勧められること
がありました。
飲み終われば、内側の白い果肉(胚乳)も食べます。滋養満点。
胚乳は料理に欠かせません。削って絞ればミルクとなり、油となり、ほとんどの料理がココナッツ・テイスト、本場トロピカル風味というわけです。
それを乾燥したコプラは、南の島の数少ない輸出品、石鹸やマーガリンの原料です。
椰子の実からニョッキリ出た新芽のサラダを、タヒチの離島で、ご馳走になったことがあります。椰子の新芽って、竹の子みたい!今でも忘れられないお味です。
[椰子の葉]
天空高く風にそよぐ椰子の葉は昼寝の木陰を提供し、編まれて自在に姿を変えます。
家の屋根、壁、お皿、バスケット、ざる、帽子、小物入れ、大物入れ(ブタまで入ってしまう)etc.
ある時、おじいさんが大きなざるを編んでいました。「まあ、ステキ!何を入れるのかしら」と思っていると、娘さんが落ち葉を掃いて、その中に集めていました。何て優雅な塵取り!
お皿を編むのは、朝飯前!?手さばきもあざやか、瞬時に編み上げてゆきます。お客が何十人来ようと、食器に不自由はしません。
椰子の葉皿は、食後、自然に帰ります。食事は手で食べ、スプーンが必要なときは椰子の実の表皮を削ればOK。
殻はコップにもなります。大パーティでもゴミ一つ出ないのです。
 
[椰子の樹液]
お酒も取れます。椰子酒(タガルー)。でも、カピンガにお酒を飲む人は、ほとんどいません。
照りつける太陽、青い空と海、ひと仕事終わった後、「ま、冷たいビールでも」というのが人情と思うけれど、誰も手を出さないのです。HINANOのコックピットで島人との酒盛りは、幸いなるかな?開けなかったのでした。
長逗留で不足したのは、生野菜とお酒でした。お酒はコーチャンのガソリン?だったので・・・・。
チーフの家で夕食をよばれた折り、「椰子酒」の話題を出すと、どこからか手に入れて来てくれました。酸味が強い!日にちが経ち過ぎとか。二回目に頂いたのは美味。三日目位という。三回目からは、椰子酒作りをたずね当て、コーチャン自分で買いに行く。1ガロン(3.8g)=5$、カピンガで初の買い物。まだお酒になってない採れ立てをおまけにもらってきました。これはヒリヒリする位甘い。二日目、三日目とだんだんにアルコール発酵してヤシ酒が出来るのです。
椰子の花芽を切り、切り口に空瓶ぶら下げ、ポタリポタリ樹液が滴るのを採取するだけ、いとも簡単。探し歩いても、空瓶ぶら下げた椰子は少ない。飲んベエはほんの数人か?
コーチャンが親しくなった酒作り名人?は、椰子酒を「サントリー」と呼んでいました。(笑)
 
[椰子の幹]
椰子の幹は、もちろん建材になります。
教会と無線室、学校、診療所(医者はいない)以外は、椰子の木作りの家です。
椰子の木島に、椰子の木作りの家々、広場と道にはサンゴのかけらが敷き詰められて、美しい。
そこにある自然を活かしている暮らし方は、生活の原点と思えます。
      椰子の木には、ハンモックがよく似合う。
昼寝だけではない、夜もそこに寝るという。
星を見ながら、風に吹かれて。
「スコールが来たらどうするの?」「その時は屋根の下に入ればいいサ」
ナルホド。
=おいしい話= 
   
メインは、もちろん、魚。
島の男は、誰もが漁師です。サキもチーフであり、学校の先生であり、夜は漁師、漁に出ます。つまり、男は魚を捕ってきて、家族を養うのです。魚屋なんて、ないのですから。自分の食べる分は自分で捕る、のです。
料理の仕方が日本と似ています。さすが、島国同志。
ほとんどは、捕ったその日に食べます。
マグロ:頭とカマは焼き物(ドラム缶で焼くところがチト違う。
 ダイナミックなのだ。燃料は椰子の実の殻
腹身のトロは刺身、というより解体途中に皆で食べてしまう。
なにせ一番旨い部分。
捕れたてを蛮刀で解体。その場でトロを口に入れる、ワサビも醤油もなし。
でも、ウマイッ!
 カワハギ系:皮のまま丸焼き。
 オコゼ、ハタ系:でっかい鍋で唐揚げ。
 アジの一種:カピンガ語でペレペレ、今が旬。
三月中旬、毎日沢山のペレペレがHINANOに届きました。食べきれない分は干物やみりん干しを作って保存。
島内でも干物を作っている人がいました。大工のモモタロー(本名)さん。
珍しくヘビースモーカーで、コーチャンと息がぴったし!       
 ロブスター:食べるのがメンドクサイので、あまり捕らないとか。訊ねてみたら、早速翌日届きました。ごっつあんです!
 その他色々:大鍋が、ぐつぐつ、いい匂い〜。魚のスープ、ブイヤベース。
ブタが、どてーんと昼寝をしています。豊満な乳房に重なりあい、じゃれあう子豚たちは、超カワイイ!波打ち際のブタは満潮になると、半身海につかって、ウットリ〜。その姿、カバの親戚状態。島のブタは、やっぱり、海水浴が好きなんだ!
豚肉はお祝いの時、角揚げにしたのを、ごちそうになりました。
ニワトリはあちこち自由行動。めんどりは、ひよこたちを引きつれていつも忙しそう。
地面ひっかいたり、椰子の殻つっついたり、「餌は自分で探さなっくちゃ。」
「ホラ、ホラ、ここよ、ここにあるでしょ!」
ひよこが、めんどりの足元にまつわりついて、ぴよぴよ、ぴよぴよ。
トキの声をあげている雄鶏は実に立派です。

亀もおご馳走のようですが、今回は遠慮しました。
主食は色々です。
ごはん:ピカピカに磨かれた羽釜(お釜)が各庭先にあります。N.Z.から回航の時立ち寄ったヌクオロ環礁で、羽釜を見た時は、驚きました。日本のお釜が、こんな島に!戦時中、日本兵が残していったのかしら??今回、ポンペイへ寄って、お釜のナゾが解けたゾ!戦前から日本人が移住していたんだもの「食」の好みが似てるんですネ、お互い。日本ではほとんど見かけなくなった羽釜が、南の島で大切に使われているんです。(私たちは、幸い?にもまだ使ってます、山小屋で)そのピカピカのお釜で炊かれる大量のごはんは、日本と同じ丸いお米です。オーストラリアからの輸入品。
パン :はじめてパンの差し入れがあった時は、びっくりしました。
南の島にパン?・・・でも、それを言うなら、ごはんだって「?」ですよね。米、小麦粉、砂糖、油、諸々の生活必需品は、本船(私たちを救ってくれたマイクロ・グローリー)が運んでくるのです。
庭の一隅にがっちりしたカマドが設えてあり、薪のオーヴンで焼かれたパンは、欧米からの知恵輸入。おやつとして、パンケーキや、ドーナツも。
ごはんもパンも、一回に食べる量がハンパじゃない、お相撲さんもビックリって感じ。
島にある「食」ではないからでしょうか?
島の伝統食

タロイモ:
サトイモのお化けのような葉っぱ。
ふかした味はサツマイモとサトイモのあいの子みたい。
蒸してつぶしたココナッツミルク入りの団子は、意外にさっぱりした味。
環礁の無人島には、タロイモ畑が点在しているけれど・・・地球温暖化の海面上昇で塩害の影響がでているとか・・・・。
 
バナナ:
蒸したり、ゆでたりしてココナッツミルクで和える。スライスして揚げたバナナチップス。種類も色々。
そのままでも、もちろん、グー!バナナの房はいっぺんに熟してしまうのが玉に傷です。一房お届け物があると、連日バナナと格闘するハメに・・・。
パンの実:
パンの樹は南の島の女王様といった風情。形が美しく、つややかで大きな葉は、深い木陰を作っています。ほとんどが仰ぎ見る巨木です。(苗木もあるはずだけど・・・。)
二種類あり、大きい方の実は直径20〜30p。種はなく、蒸したり、焼いたり、ゆでたり。果肉はパイナップル状の繊維質で、クリーミーな味。

小さい種類はマカデミアナッツのような種が中に点在しています。真ん中をくり抜きココナッツミルクを入れ、パンの葉でくるんで蒸す料理(グルバラ)は、じつに手が込んでいます。果肉はとろけるように甘いのです。天然の甘み。
パンの実には季節があります。丁度食べ頃に来島できて、とってもラッキー。

タロイモや、バナナ、パンの実に、ココナッツミルクの組み合わせは、それだけで栄養満点、お腹もいっぱい!になるありがたい自然の恵みです。
 
ナベ、カマ、ヤカンは中国製?
コンロは手作り。ドラム缶に焚き口を開けたものが一番デカイ。小さいコンロはドラム缶にタガネで穴を開け、適当な大きさを切り取って作る。溶接機で、ガーッと切るわけじゃないので、大変な労働です。キャンプの時みたいに、地面で直接焚き火をすれば、簡単なのに・・・と思いましたが、家々の庭先には大小様々なコンロがあり、ヤカンやナベが大きさにあわせてかかっています。
 
椰子の実イス。姿、形、用途、座り心地、満点の素晴らしいイスです。
半割にした椰子の実の、果肉を削るためのイス。
正式名称は知りませんが、動物のカタチのような、この椰子の実イスは南の島料理の必需品です。
このイスにまたがって、頭部の金具で椰子の果肉を削ります。
それを絞ればココナッツミルクの出来上がり。
トロピカルテイストの源です。
 
=しょっぱい話=
 
カピンガは雨が少ない。雨水は貴重な飲料水です。木々やタロイモ畑にも必要。でも、慢性的な水不足という。足りない分はポンペイから船(マイクロ・グローリー)で運ぶのです。
  HINANOがチャーターした船で、島の飲料水を運んでもらえないかという相談。もちろん、水でも物資でもどうぞ、島のお役に立てるのならウレシイ話。この時も、2月23日に小さなスコールがあったきり、HINANOでも節水に務めていました。
HINANO節水術:食器もお米も海水洗い、最後に少しの水で仕上げる。その水を、手洗い→足洗い→雑巾洗い→デッキ洗いと使い回します。
洗髪と身体洗いは海(大浴場!)、その後少しの水ですすぐ、という具合。
洗濯も、もちろん海水ですが、やはり水ですすいで仕上げたいもんです。島には、洗濯や行水用の公共の井戸があり、それを使わせてもらいました。海水よりはましですが、かなりしょっぱい・・・。10年前は真水だったとか。やはり地球温暖化の影響で海の水位が上がった為です。
太い幹を海面にせり出した大木があり、子供達の格好の飛び込み台となっています。
いい風情ですが、5年前までは、まっすぐに立っていたとか。
波に根っこが洗われて傾いてしまったのです。
あと10年もすれば、家の前の道まで海面になるかもしれない・・・。

大気汚染とは無縁の生活を送っている人達が、その犠牲になっています。本当に申し訳ない・・・。
  さて3月12日、最後の日曜の昼下がり、釣り糸などたらして、のんびりしていると、一天にわかにかけ曇り、大スコール到来!ありったけのナベ、カマ、ボール並べ、雨水集めに大忙しとなりました。夕方まで降り続き、200g以上、右舷清水タンクは満々タン。島もHINANOも水不足解消!
  ありがとうございました。水は天からもらい水。天水(スコール)の味は天下一品の甘露です。 
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