旅のお土産話トップへ戻る   旅のお土産話 vol.6                
=たまげたイール・パーティ=

今日(3/10)はチーフの家でイール・パーティ。
ぬらりとした面に大きく裂けた口、トゲトゲの歯、小さな目玉、模様のある長い躯は鰻より蛇にちかい。ウツボの全身を、じーっと眺めたのは初めて。しかも、こんな間近で。
へえー、けっこうカワイイんだ。
1b以上のウツボ(イール)がずらり、椰子の葉の上に30〜40匹枕を並べているのです。
屋根掛けの小屋では、さかんな焚き火です。椰子の幹芯が薪。
薪は放射状に燃やされ、その上に頑丈な鉄筋が組まれています。
小屋の周りには長さ2〜3bの太い棒が何本も立てかけられており、なんとそれは椰子の葉髄!その長さと太さから椰子の葉の大きさを改めて実感しました。
熾きが充分に出来たところで、鉄筋の上に椰子の葉髄が隙間なく並べられ、その上にびっしりとイールが並びました。

少し焼けた所で、頭と尾を持ち上げ、ひっくり返します。
あっちとこっちで二人がかりの、あうんの呼吸。すべて男の作業です。

延々と一時間あまり、頃合いをみてひっくり返すこの作業が続きました。
ポンポンに膨んだイール、いい匂いがし始めたところへ、編んだ椰子の葉を何重にもかぶせ、小屋の周りも屋根材の椰子の葉で囲ってしまいました。
イールの薫製椰子小屋。椰子の葉葺きの屋根から煙が立ち昇っています。
冬場にスモークサーモンやベーコンを仕込むのとは、えらい違い。常夏の南の島の料理です。
何しろ、暑い、熱い。私達が差し入れたペットボトル氷は、でっかい寸胴ナベに放り込まれ、おおいに役立ってました。

ケシアがメンバー表を作っています。50人以上。子供も入れると、70〜80人の大パーティ。
椰子の葉で編んだお皿にバナナの葉を敷き、タロイモとココナッツを練って作った、デカ団子が並べられてゆきます。これは女の仕事。
1b以上の細長いお皿は薫製イール用です。自在に大きさを調整できる椰子の葉皿、生活の知恵ですねぇ。
出来上がったうまそうなヤツが盛られ、そんなお皿がいくつも並びました。


どっと来るハエの集団。手の空いている者は椰子の葉うちわでハエを追います。
長い板の上で4〜5等分にたたき切られるイール。力いっぱい蛮刀を打ち下ろし、バシッ、バシッとぶった切るのです。
南の島の男の料理です。

タロイモ団子の横に一切れづつ盛られ、長いテーブルが料理で覆われてしまいました。
こちらは男席。女、子供は隣の大屋根の下か、木の下です。


頂く前に挨拶があり、お祈りが続き、とにかく特別な事みたいです、このイール・パーティは。
椰子の薪で焼かれ、椰子の煙で燻されたイールは脂がのって、しかも淡泊。
調味料一切なしでも、とてもおいしい。
が、私たちは一切れでお腹マルマル!(「マル」はカピンガ語で「いっぱい」)
胃丈夫な人は、3〜4切れお代わりしてました。アルコール類一切なしの大パーティです。

未明から準備して、午後2時過ぎにやっと出来上がり、「あっ」という間にたいらげて、片づけがまた早いこと。
テーブルの上に残ったのは、コーヒーカップのみ。コーヒーカップの行き渡らない人は椰子の実の殻でお茶を飲んでました。
洗い物なし!食器はぜーんぶ焚きつけになります。
70〜80人が食事を共にした形跡がないんです。とにかく椰子の木、さまさまです。


それにしても、不思議なパーティでした。

HINANOに戻った私達を、追っかけるように、子供達が泳いできました。

小休止の後、ホラ貝合図に、島まで競泳!大きな子が、まだしっかり泳げない子をサポートしてました。
=最大のお祭り、カピンガマランギ・デー=
   <その週は日替わり、大運動会>

2月15日、座礁事故から救われて、小舟で曳航されてる時、カピンガマランギ・デーの話を聞きました。
「一年のうちで一番楽しい、大きなお祭りがもうじきだよ」
「いつ?」「3月15日」
「えーっ!?そんなに長く私たち居ないから・・・。」
「残念だねー、とっても楽しいのに!」
「今度来るときは、きっとその日に合わせてくるからね」
「あっ」という間の1ヶ月でした。

島中の人たちが、待ちに待ったお祭りです。
カピンガマランギ・デーをはさんだ一週間は、大人も子供も参加しての運動会。
初日はバスケットボール、二日目バレーボール、なか日はカピンガデー、四日目陸上、最終日水泳大会という具合。
バスケットとバレーは校庭で行われ、私達の知っている運動会の様子と似ています。
この試合に備えて、放課後の校庭は、練習する人たちで賑わっていたっけ。

コーチャン電気技師はマイクの修理を頼まれましたが、機械の古さにはかなわず、お手上げ。
けど、マイクがなくっても、声は通る広さです。
予定時間を過ぎても、皆のんびりとバンダナスの実なんかしゃぶりながら待っています。

陸上競技(100b走、200b走)は巾、5bほどのメイン道路をきれいに掃いて作ったコース。
スタートとゴールのラインは、石灰ではなく白砂で描かれています。
南の島チック!ゴールのテープは白い布を細長く切って縫い合わせた物。

選手は全員裸足。4人づつの競走です。観客席は沿道の木陰です。
パンの木の大木、パンダナス、パパイヤ、椰子、緑濃い大樹の下でハンモックに寝っころがったり、お茶したり、のんびりと応援。
[白組]対[青組]いかにもそれらしい色の組み合わせです。

本部席では真面目に記録を付けてました。

水泳大会は桟橋横の海。
漁網用ロープといつも桟橋でとぐろを巻いている黒い太いロープでコースが作られ、丸太と板で組み立てられた飛び込み台もあります。
波打ち際には、いつものように、ブタがカバしています。(脚だけ海に浸かってうっとりしているブタはカバのようです)
その向こうの舟小屋は主に御婦人用の観客席。
桟橋に設けられた見物席は、屋根が迷彩色のパラシュート。
毎年クリスマスに米軍がパラシュートでプレゼントを落として行くとか。それを利用した屋根です。

選手達の水着はほとんど普段着のまま。
Tシャツ、短パン、腰巻き、スカート、上半身裸の女の子も数人いたけど、とっても健康美。
審判は腰まで水に浸かって海の中。笛の合図で4人づつ飛び込みます。
二人で1コースなので、ぶつかったり、重なったり、コースからずれたり。そのたびに観客席がドッとわきます。
バタフライが途中から平泳ぎになったり、ゴール直前でおしゃべりを始めたり。
スコール到来で、何回かレース中断。その間は、のんびり、お茶とおやつの時間です。
スコールは10分もすれば行ってしまうんです。

「あっ、マズイ、HINANOの窓、全部開けっ放し!」すっとんで帰るコーチャン。
スコールの後は、とっても蒸し暑い・・・。海の中で見ている人もいます。
私たちも見習って、Tシャツ、短パンでひと泳ぎしました。
 
3月15日、カピンガマランギ・デー当日、HINANO曳航が決定し、私達は心から、お祭りを楽しむことが出来ました。

午前中は、イール大パーティー。
チーフ宅で行われたイールパーティーの5倍もある大パーティー。
カピンガは5班に分かれていて、各班から持ち寄られた薫製イール、なんと200匹!
マンハウスと船小屋、沿道に人、人、人、人、全島民が集まっています。挨拶とお祈りの後、イールとタロ団子の盛られた椰子の葉皿が、次々と手渡され、三々五々全員で頂くのです。
何というお祭りでしょう!これは!?
お祭りというと見物人が押しかけ、当事者たちは祭りの衣装に身を固め、鳴り物入りで賑々しく、というイメージですが・・・。
そういうもの、一切なしです。
イールには、格別な思いが込められているのでしょうか?
単に美味しいから、だけではないと思います。

イールは海神の化身、それとも使者。海の神様に祈りを捧げるお祭り。大漁・安全祈願、そして感謝の祈り。
なにはともあれ、手間暇かけて作った料理を、こうやって全員で頂くということ、そこには一体感と、満足感と、楽しさが溢れていました。
ズラリと並んだ、あの精巧で頑丈なイール捕獲かごは、今日の日のためにあったのです。
お祭りの原点を味わった気がしました。
「イールのお代わりありますよ。」「ご飯、食べたい方はどうぞ」「タロ団子もどうぞ。」
お代わりを山盛りに乗せた一輪車が、人垣をわけて通って行きます。


14:00、プォォォォ〜、ホラ貝が鳴り、HINANO'S CUP、開始!
HINANOのために催されたセーリングレースです。
帆を上げた12艇のアウトリガー・カヌーが一斉に滑り出し、走り出しました。
私達もHINANOの足舟に飛び乗り、全速力で後を追います。カメラを構えるコーチャン。
大環礁の中、10海里ほどの三角レース。速い!速い!
監視艇の小舟もいます。身を乗り出してヒールをつぶしたり、タックを返したり、ヨットレースと全く同じノリです。

このレースには、先日、チーフに手渡したお礼金の中から、チームに賞金が出ることになっています。
帆に黄色いラインを施したおしゃれなカヌーがダントツで一等賞。
白帆が、いくつも浮かぶリーフの内海は夢のような景色です。

リーフの真ん中ではイルカ達も見学していました。

=ことばの話=

ミクロネシアでは島ごとに[ことば]が違います。
ポンペイの人はカピンガの[ことば]は、全く!わからないとか。
たとえば、モツ・ケレケレの白い鳥(あじさしの一種)を、ポンペイでは「カラカラ」、カピンガでは「アキアキ」と呼びます。共通語は英語です。

カピンガマランギの人は、小さな子を除き、ほとんど全員が英語も話し、識字率は100%、教育が行き届いています。島人同士は島言葉で、私達とは英語で会話、私達の貧しい英語力を懸命に理解してくれました。

0323 glorious breeze
時には、日本語が混ざることもあります。戦時中、日本兵が滞在し、その時の見張り塔が今も残っています。でも、ニッポンのヘイタイサンの影響だけではないのです。ポンペイには戦前から日本人が暮らしており、若いときに工業学校で学んだという方は、とても流暢で丁寧な日本語を話されていました。
島の最年長は100才近いおじいさんで、目を輝かし、「ヨク、イラッシャイマシタ」と迎えて下さったのです。
 
そして人の名前。マイクロ・グローリーのキャップテン・ヨシローをはじめ、この島にも日本名の人が何人もいました。「モモタローさん、トシオ、キヨシ、ミツコ、ナミコ、アイコさん、etc.」。「愛ちゃん」と名乗った青年の本名は、なんと[TRUE LOVE]
 
カタコトの英語が通じてしまうので、カピンガ語はあまり覚えなかったけど、最初から最後までよく使ったのが「ディメポロコイ(ありがとう)」。

心から「ディメポロコイ」のカピンガマランギ滞在でした。
=おまけの話=

「イイ事」ばかりではないんです。
「マイッタ」「ヨワッタ」「コマッタ」事も少々・・・・。
体調:ここカピンガに限らず、南の島を巡っているヨットマンは皆同じ事を言います。「傷の治りが遅い」海水でいつも湿っているせいか?潮風か?栄養バランスか?どーしてだかわからないけど、虫さされ跡や傷口が、いつまでたっても、ぐちゅぐちゅ、べたべた、ふさがらないんです。
消毒液、傷薬、化膿止め、抗生物質、防水テープが大活躍でした。

事故っているのに、こんなに楽しく、元気いっぱいでいいんだろーかと思ってましたが、実は、後半は交互に下痢・・・。食べ過ぎか?食あたりか?神経か???一日で治ってしまうので、悪性じゃないんだけど、どちらかが、いつもソンナ状態で、正露丸とウメボシが大活躍。
交互の下痢ピーは、曳航と同時にピタッと治ってしまいました。      
私達のヤワな身体に、椰子の精力が強すぎたんでしょうか?
ソレトモ「神経」だったんかなー??
0320 the Southern Cross

習慣の違い?:カピンガマランギの人達は、とっても奥ゆかしいんです。
ひとを押しのけたり、われ先にしゃしゃり出たりしないんです。口論も喧嘩も聞いたことがありません。おだやかで物静かな人が多いので、小さな島にたくさんで暮らしてても、「うるさく」感じません。
お辞儀の習慣はないのに、ひとの前を横切るときは、大人も子供も「ちょっと失礼」という風に小腰をかがめて通ります。
子供達も、はじめはとてもシャイで、こちらから手を振るとようやく笑顔で応えてくれるという具合でした。

同じ国でも、島によって島民気質が違います。「あっ!」という間に、今脱いだゴムゾーリがなくなってしまうよーな島だってあるんです。そんな島では、甲板の上になんにも置けないし、留守にもできない、人を見たらドロボーと思ってしまう、こっちの目つきもどんどん悪くなって、なさけない・・・ことも。

ところが、ここカピンガでは、勝手に無遠慮に乗り込んでくる人なんていません。
それどころか、用があって乗艇する人は必ず手土産持参で、こちらが恐縮してしまいます。・・・が、乗艇した後は、実にの〜んびり、してゆくんです。こちらが目の回る忙しさだろうと、ぜーんぜん気にしないんです。
さあ、困った、いい人だけにどうしましょう?ある日「奥の手」を教わって、お帰り頂きました。
「昼寝をするから帰ってね」「あっ、そう」と、とても簡単。んなこと言っても、昼寝するよーなばやいじゃないのに・・・と少しココロが痛みましたが、これが、こちらの流儀。これもまた、南の島チック!でありました。

0301 Motu Kerekere-1
電話のないカピンガにお世話になったのだから、電話ぐらい「どうぞ、どうぞ」と、使ってもらいましたが・・・。女の人の長電話は万国共通か。波のリズムのような、ゆっくりとした口調で延々と切れ目なく、とにかく、長い長い、ながーーーい、マイッタと思うくらい長ーーーい電話でした。
長電話の後、うれし涙を浮かべ、電話の向こうの娘もうれし泣きしていたなんて話を聞くと、「ああ、ヨカッタナー」と思うのでしたが。
こんな事が何度かあり、この「のんびり」さも、島民気質なのだ、と了解。

こんな事、ソンナ事ひっくるめて、カピンガマランギに
ディメポロコイ!

=もひとつ、おまけの話=

私の絵本で「マルルおばさん」シリーズ(・・・といってもまだ二冊)があります。これがナント今回の居眠り座礁事件、そのまんまの絵本なのです。
「マルルおばさん」が小舟を出して釣りに行き、おやつを食べ、お昼寝をしていい気分・・・ところがぶっつかって、サア、大変!色々あって・・・最後は「よかったね」
「デイメポロコイ」より言いやすい「マルル」は、ポリネシア語、タヒチの言葉で「ありがとう」です。
そして、カピンガマランギの島民はポリネシア系なのです。海原を越え、はるばるやって来た民族ということで、ミクロネシア政府から特別地区に指定されています。ヌクオロ環礁もそのひとつで、そこは「キャプテンヨシロー」の故郷だそうです。
なんだか運命的な出会いって感じ。「マルルおばさん」シリーズもっと続けたいな。でも、現実の方がすごくって・・・。
もうひとつ、「みんなまつりモラモラ」という絵本。これの舞台はカリブ海、サンブラス諸島ですが、カピンガデーのおまつりと、そっくりです。
おまけに、もひとつ。私のはじめての絵本が「ふしぎなみずたまり」
カワイイ女の子(私?)とオヒゲの紳士(こーちゃん?)が出会い頭ぶつかって、おっとっとっと・・・みずたまりの中へ、というおはなしです。
振り返ってみると、「みずたまり」や「ぶつかる事件」に縁が深かったんでしょーか。思い出に浸るタイプではありませんが、今度ばかりはじっくり振り返ってみたいと思います。それから、一歩踏み出せたらいいなー、と。
どうぞ、もう少し私たちの話につきあって下さい。

    創作絵本(申し訳ありません・すべて絶版です、図書館で見つけてください)

1979 「ふしぎなみずたまり」(フレーベル館)
1982 
「むるとめるのぼうけん」
        (福音館書店・こどものとも312号)
1985 
「おーい!ぼくのボール」(フレーベル館)
1987 
「マルルおばさんのたまげたいちにち」(講談社)
1990 
「みんなまつりモラモラ」(講談社)
1991 
「あふりか物語」(小学館・小学二年生)一年連載
        (文、オスマン・サンコン)<リトグラフによる挿絵>
1993 
「サンコン少年のあふりか物語」
        <リトグラフによる挿絵>(講談社)
1994 
「マルルおばさんのとんだいちにち」(講談社)   
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