NO6 轍(わだち)ルート・砂の魔手
1983年12月5日〜

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12月5日(月)大サハラ1日目


  準備ばんたん!
屋根に乗せた例の鉄板と軽油タンク(ジュリ缶)8本満タン
160リットル


イザ、出発!

立派な標識には
アラブ文字とフランス語で
BORDJ  MOKHTAR 640q
TESSALI 800q
GAO 1317q
NIAMIY 1750q
昇る太陽を拝み、気を引き締めて悪路に挑戦。

数kmも行かないうちに砂のへこみに跳ね上げられてブル君躍り上がる!
バックミラーに映ったのは転がっている軽油タンク、、、、。
あわてて急停車し、様子を見に飛び出した。

自慢のルーフキャリーは木枠がへし折れ、ブル君の頭上に残っていたのは
鉄板と、かろうじて乗っかっている2個のジュリ缶。


こんなはずじゃあ、、、、

はるか、かなたにジュリ缶が、、、
転がり落ちたタンクを、ずーっと遠くまで拾いに行き、ルーフキャリーに乗せるのは断念。

車の中は8個の軽油タンクと、ひっちゃかめっちゃかの荷物。

やれ、やれ、、、、
走るにつれ棚の上のナベが落ち、ダークバック入れ場が壊れ、上段の物たちを全て床に置く。
壮絶な車内風景である。

この先が思いやられるな〜。
、、、と、思うまもなく砂に埋まってしまう。

初体験デフあたり、エンジンをふかしすぎ、かなり深く埋まっているようだ。
大きなトラックがズイッと止まり、引っ張ってくれた。
が、初使用のドイツ製牽引ワイヤーは、一発でプチンと切れた。
ナイロンロープもプチン、何度やってもプチン、、、、。
軽油タンク、水タンク計280kg降ろすがダメ、、、、。

デフの下の砂を掻き出していると、フランス人カップルのジープが追いついた。
彼らは昨日オアシスを出て、砂漠に泊まっていたのだ。
太いロープを貸してくれて、ようやく救出されたブル君。
フランス組が、しばらく一緒に走ったほうがよいと、提案してくれる。

20kmほど併走中ジープのマフラーが取れたので、ワイヤーを差しあげた。
お互い気配りをしつつしばらく走るが、大地条件がよくなったところで見失ってしまった。
轍ルートというのはこれか!
「走る道」を自分で選ぶのだ。

地球の素肌はあくまでも平たく、そこに無数の轍が南へ向かって延び、それらは地平線の向こうへ消える。
感激し、見とれていると、、、、またやってしまった、、、、やられてしまった、砂の魔手に。
今回は車の影ひとつ見えず、自立脱出に成功。

砂を掻き出す

脱出成功!

ドラムカン標識

全身、砂浴をしたような初日である。

ドラムカンの標識が1kmおきに、コンクリートのケルン型標識が5kmおきに立っているのが「本道」だ。

「本道」は大型トラックの轍で凹凸が激しく、とても走れたもんじゃないが、この標識はアリガタイ。

無人の大地で私たちを力づけてくれ、「こっちだよ!」と導いてくれる。

夕方、標識から直角に東に向かって1kmほど走り、そこを今夜の泊地とした。

真っ平らな砂地の大地は一面の玉砂利。
直径2〜3cm、半透明な砂色の玉砂利が等間隔でずっと、ずっと、ずうーーっと敷きつめられている。

360度、見渡すかぎり、地平線の彼方まで一面玉砂利の世界。

神の造りたもうた世界。
さて、私たちニンゲン共は壮絶な荷物の山を整理し、床に並べやすいよう箱詰めにした。
引っ越し荷物さながらで、今春のブル君スタート時を彷彿とさせる。

夜中に目覚め、星明かりで杯を傾けるコーチャン。
私も少しつき合う。

無機物だけの地表と星々を眺めていると、地球も「星」なンだ、を実感。
これを眺めに、四苦八苦してここまで来たのだ。
無音の世界。

12月6日(火) 大サハラ2日目

朝日を拝み、玉砂利の大地平線を撮影。

夜明けのコーヒー(やらせ写真?)
トロトロ、ゆっくり朝食をとっていると、スイスの3人組が追いつき、様子を見に来た。
止まっている車の様子を尋ねるのは大サハラの掟。
法律で定められてるワケじゃない、苛酷な自然条件の中、ヒトはお互い助け合い手を差しのべながら行くのだ。

広い、広い、あまりに広くひろがっている砂の大地。
デコボコの本道を避け、走りやすい地面を選びながらひたすら南下。
だが、目の隅っこに標識をマークしておくことは大事だ、あまりにも広すぎる大地だから。

どこでも道路?どこでも走れる!

行く手に蜃気楼。
砂丘が水に浮かんでいる、氷山のように・・・・。
しばし見とれてると、やがて実体となった。
実体となった砂丘のルートを選ぶ暇もなく、ソフトサンドに突っ込んでしまった。
スイス人グループが近くにいたが、乗用車なので手のほどこしようもない。
やがて、2台のトラックが向こうで止まってくれた。
助けてくれようとして、自らも砂の魔手に捕らわれ、しきりに脱出作業をしている。
申し訳ないやら、ありがたいやら・・・・。
デフにあたっている砂を掻き出していると、長鉄板を頭上にかかげた力強い黒人数名が笑顔でやって来た。
鉄板の長さは3,5mもあるとか、さすがトラック!
4枚の長鉄板の道がブル君の前に作られた。
すべるように、うれしそうに砂から解き放たれたブル君。
必要な作業を黙々と的確にこなし、私たちに先行するよう指示し、よいルートをアドバイスしてくれた黒人の好青年。
今日は標識から直角に西へ走り、そのままエンジンストップ。
ブル君の好きな所に止まった。
どこも、水平、真っ平ら。
風、強し。
音、強し。
明日はもっと走りたい。
風が止むことを祈って。

12月7日(水) 大サハラ3日目・無国籍地帯
雲におおわれた朝焼けが美しかった。
風の少ないうちに出発準備。

軽油40L、ラジエター水追加、オイルOK、タイヤOK、出発!

真南へ向かって延びる無数の轍にブル君の足跡を加える。

しばしトップギア、真っ平らな大地の感触を全身で味わう。
ポーランドの四駆大型トラックに出会う。14名の若者グループ。
ここまでは幸せいっぱい。
、、、、やがて砂嵐、、、、
セカンドギアでウン、ウン、唸りつつ、あ、、、、ストップ、、、、。
1回目。
はるか向こうに堅い地面が!
そこまで鉄板の長さ分、1,5mづつ進む。
その後は慎重にデコボコの本道、メインルートを辿った。

メインルートは凸凹

雨期には川になるらしき所に真緑の草を発見、生き物を見た。
昼食の最中、ポーランドグループのもう一台に出会う。
彼らは二台のトラックで来ているのだ。前車の様子を報告して別れる。

それからすぐ、ソフトサンドに捕まってしまった。
2回目。
今回は大々的、デフもすっかり埋まっている、またか、、、、。
脱出作業開始。
今日は二人ともフクメンマン、覆面をして砂脱出作業の「砂害」に備えている。

力強いエンジン音は、ポーランド隊のトラック。
取り出したのは電動ウインチのワイヤーであった。
エンジンをかけず綱引きのようにズルズルと引きずり出されたブル君。
トラックの上では若者達がカメラや8ミリで楽しそうに記念写真を撮っている。
いや、記録写真かな?
深くお礼を述べて先に走る。
慎重に、慎重にルートを探ったが、サハラのソフトサンドは我々を見逃してはくれなかったのだ。
3回目の脱出作業。
ポーランド隊があっという間に追いつき、今度は数名で押してくれて脱出成功。

その後のソフトサンドは、ブル君・コーチャン&ツーセの三者一体となり、歯を食いしばり、跳ね上がり、躍り上がり、スウイングして突き抜けた。
が、、、、神のこしらえたもうた魔の砂丘が、両側にひざまずき、徐々にこちらへにじり寄ってくる気配、、、、。
美しい砂の手は、またもやブル君を掴んだのであった、しかも、力強く!
実に4回目。

ポーランド救援隊ご自慢の電動ウインチも、あわや、、、、ロープが2度も切れ、私たちはデフにあたる砂山削り取り作業に励み、、、、
結局、ボデイシャーシにワイヤーを掛け、ようやく救出される。
なんとなく全員疲れ、言葉少なく別れた。

その後もダンスを繰り返し、国境までの標識Km数が少なくなるのに励まされながら走る。
とにかく前進はしてるのだ。

やがて国境!
記念写真を撮ろうとしたが、ヤメタ。
ここは、国境。有刺鉄線が張り巡らしてある。
向こうにラクダのキャラバンが休んでいた。
彼らは、まったく異なるサハラを歩いてるんだろうな〜。

ポリスチェックはすぐにOK.
カスタムのお役人にはサングラスをねだられたがお断りし、あまり聴いてないテープと日本製千代紙アドレスブックを差し上げ、OKに。
これから160kmは無国籍地帯。
真緑の草がほんの少し力強く生え、そこに羊飼いがいた。
草も、人間も羊もスゴイ!

寝場所を探しながら行くと、乗用車が埋まっていた。
はじめて車助け、人助けできた私たち。

日没。
今夜はここに泊まろう。
この乗用車がいなければ、私たちはまた砂の魔手に捉えられていたかも、、、。
前途多難。
ポーランド隊が追いつき、彼らもここでキャンピングするという。
今日は4台のトラックとすれ違った。

ポーランド隊のキャンプ