HINANOのページへ戻る HINANOドック入り
そして海に行った寿生に逢いに
2005,2,20 コーチャンの
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HINANOは1996年ニュージーランドで進水しました
そして僕の甥っ子寿生は18才の時その進水式に立ち会い
日本への3ヶ月に及ぶ航海に関わりました。
この写真は通世と寿生と3人でNZ海域でテスト帆走しているところをヘリコプターより撮影された自慢の一枚です。

その寿生が結婚、そして2003年4月21日
HINANOが孀婦岩へ出港した日に女の子誕生、
その名も「ひなの」

海が好きでHINANOを愛した寿生が2005年1月29日、逝ってしまいました。

享年28才、叔父から頂いた法名は「無量院釈寿生(じゅしょう)
寿生という名は
祖父・光徳寺住職・木下丈舟様が浄土真宗の教えの大綱を要約した大切な経文である「正信掲」の冒頭の文言より名付けたものだ。

しかしあまりにも、あまりにも若く・・・・・。
でもこれからはいつでも何処の海でも寿生と話が出来ます。
2月10日〜20日までHINANOのホームドクター・油壺ボートサービスにて毎年恒例のドック入りをしました。
油壺まではコーチャン&ツーセは弔事が続き乗船できませんでしたが多くの仲間で回航されました。
そして20日船底から全て整備されホームポート富浦に戻りました。
この航海の全てを「バカヤロー航海」と名付けました。
ABSにて上架中のHINANOです
皆さんあまり見ることの出来ない
ヨットのお尻です
寿生は造船中から見ていたので
良く知ってます

ぶら下がっているのはキールといって
ヨットのヨットたる重要なものです

鉛で出来ていて
船体重量の半分近くを占めています
約4.5トン

2月20日寿生からの風(西風)7〜8メートル/Sをもらいホームポート富浦へ爆走しました
波高2.5メートル

向こうに見えるのがホームポートのある
大房岬

キャップテン・コーチャン
クルー・俊ちゃん&ツーセ

寿生が好きだったのに我慢していた
マルボロとエビスビール
(ビールが呑みテー!といいながら
 発泡酒と焼酎を飲んでいた)

海に向かっておもいきり

「バカヤロー〜〜〜!」

艇速7〜8ノット
バックミュージックは加山雄三の「海」
葬儀の会場でも流れていたが
やはり海の上で聞くのが最高


そして海を切り開く波音


富浦湾に入り寿生が真ゴチやでっかいスズキをヒットした海岸の前に錨を下ろしました
そしてHINANOが4枚持っている大漁旗のうち一番のお気に入り「南十字星と見返り美人」を半旗で掲揚しました


ヒット!


どうだ!はっはっは!!