NO1  いざ、アフリカ大陸へ!
1980年・12月30日

イタリア・シシリー島、パレルモ・トラパニ港よりアフリカ行きカーフェリーに乗船。
チュニジアへ向かう。

11:00出港予定が14:00に変更
当日、21:00着予定が翌朝6:00に変更(実際は8:30)
ま、アフリカのスケジュールはこんなもんでしょう。

二等客室つまり大部屋は家畜の臭いと大勢のひといきれ、ナベカマ、電気製品、ふとんの大荷物でごったがえしていました。

ヨーロッパ人の車が5台、4WD車は鉄板やスコップ、ガソリンタンクがズラリ。

乗員は「オーシ!!サハラを越えるゾ!!」と気合い充分です。

私たちは砂漠の入り口をちょいとのぞきに行くだけですから、中古ワーゲンの手作りキャンピングカーでよろしいのです。
これは二台目で30万円くらいだったでしょうか?

一台目のワーゲンは後ろの座席には小さな窓が一つだけという酒屋の荷物車で、車体にはデカデカと宣伝文や酒瓶の絵。

今と違って当時のヨーロッパは国境の検問が厳しく、「怪しい酒屋」と思われないよう酒瓶と文字は赤と緑のペンキで塗りつぶしました。ますますハデになったかも、、、、。

12万円と格安でしたが、ノロノロとしか走らない故障続出の超中古車に「アルマジェロ」という名前を付け、かわいがり、毎朝祈る様な気持ちでスタートキーをかけてましたっけ。

祈りむなしく、アルマジェロくん、ついにダウン、、、。

そして今の二台目中古車。

モチロン窓もあり、ピカピカの真っ白な車体です。

うれしくて、うれしくて「サンタ・カルロッツア」

イタリア語で「聖なる馬車」という舌かみそうな名前つけ、
通称「サンタ」と呼ぶことにしました。




メインテーブル(リビング?)
窓にはレースのカーテンも


メインテーブルをたたむと
ベッドに変身

キッチン?
簡単な朝食はここで
コーチャン手作りの室内

(クリックすると拡大します)

故障の心配がない上出来中古車「サンタ」と、明日はアフリカの大地を踏むのです。

翌朝・大晦日 チュニジア着

船内でポリスチェック、下船して車のカスタム手続きや荷物チェック。
そして首都チュニスへ。
アラブ系の人々ばかりで中近東の様、、、、。

アフリカというと黒人をイメージしますが、チュニジア・アルジェリア・モロッコなど北アフリカはアラブ系人種の国なのです。

アフリカへ渡った気がしないままスーク(市場)で地中海の
タコ一匹購入。

なにせ今日は大晦日、明日は「お正月」ですから!

19709 Bedouin

1981年1月1日〜15日

年が明けても街の様子は昨日と同じ、イスラム教国なので「正月気分」の気配なし!
モスクのマイクから定時にコーランが響き渡っています。
ふたりだけで、「明けましてオメデトー!!」昨日のタコ、ワインとお雑煮で新年を祝う。

元旦くらいのんびりしようと、スークをぶらぶら見物。
ベリーダンス(へソ出しダンス)の派手な看板が目につく。
ヴェールを目深にかぶって髪や肌を人目にさらさないこの国の女性が、あんなセクシーなダンスを披露するのか?!

以前バクダットでお世話になった日本人商社マンの奥様が
「観たわ」と言っていた、イスラム教国では有名なショウであるらしい。
私たちは観ませんでしたが、コーチャンはザンネンだったかな?

翌日からは忙しいニホンジンに戻り都会でしか出来ないことをこなす。
隣国アルジェリアのビザ申請、郵便局、銀行、ガス屋、やっと見つけた手頃なホテルでシャワーや洗濯。
ふうーー!

5キロのガスボンベを充填できるのが一週間後とか。ボンベを預け、1月3日にはチュニスを後にし、チュニジアをアチコチした。

主都の雑踏を離れると、懐かしいような空と大地の広がり

中近東で歩いたような・・・でも、違う。

やはりここはアフリカ、なお広く、荒々しく、とにかくアフリカ。
それも入り口。

ラクダが野に放たれているのをはじめて見た。

ローマ遺跡やカルタゴ遺跡をめぐり、その昔にもこんなふうに気持ちの良い風が吹いていただろうか・・・などと、しばし郷愁にひたる。
遺跡は生活や文明の跡、そして戦いの跡でもある・・・・。
仰ぎ見た石の列柱が、紺碧の空に権力者たちの愚かを物語っていた。
ケンリョクシャたちと無縁の住居があった。

一見無人の荒野、荒々しい地形に口を開いた大きな穴。
底をのぞくと羊や山羊やニワトリ、そして人間が暮らしている地中住居。

私たちが訪ねたのは、直径10m位の縦穴で真ん中に水だめの穴、土壁の横穴が住居、二階の横穴は物置、穀物庫。
横穴の部屋がいくつもあり、子だくさんの大家族でした。
子供部屋の増築?はカンタンらしいけど、雨が降ったら、、、、う〜〜ん、その心配はあまりなさそう。
地中の村を出た砂漠の中にも、侵蝕された谷間に横穴や縦穴がポツン、ポツン。
やはり人の住処です。



そしてまた、土と岩で造ったカマボコ形の家々。

ホテルにもなっていて、興味津々、一宿を過ごした。
漆喰塗りの穴倉ベットはとても暖かでした。

19717 Clay store

     イスラム教の聖地、カイロアンは落ち着いた感じのいい街。


「おじさん、おまけしてね!」

「あいよ、オジョウサン!」

右のおっちゃんはサイフの中身でもかぞえてるのかな?

買い物は、主として男の役目。

織物の町ガフサでは模様と色使いに感動。



なんにもない真っ平らな砂漠でも、たまに枯れ枝が転がってたりも。

焚き火用の貴重な薪、

ありがたく拾ってルーフキャリーヘ積み込みます。

色々なお気に入りの中でもきわめつけは、南部のオアシス・Tozeurです。
オランダ人カップルにおそわったきわめつけのオアシスは、なんと「温泉」付きなのです。

みごとなナツメヤシのしげる中、巾2m〜3mほどの澄みきった流れ、水ではなく体温よりあたたかなお湯!!なのです。

ひとけのないオアシス温泉で極楽のひとときでした。

お湯の流れの中に砂色した小魚の群を発見!小魚たちには、どうも、目がないような・・・・。
この「お湯」は砂漠の地下水か?伏流水か?たまたまここのオアシスで地表に顔を出し、また地下へ潜行してるのです。
小魚たちは砂漠の下を潜行してる流れの中で、その営みを続けているのでしょうか。
無機質な砂漠の地下に小魚の群れ!
いのちの不思議とたくましさに「!」マークいくつ付けても足りません。

夕食後オランダ人カップルからお茶に誘われて彼らの車へ。
何年もふたりでキャンピングの旅を続けているとか。旅の話しに花が咲いた夕べ。
俳句にも造詣が深く、ポルトガルで満開のアーモンドの花と優しい人たちに会い、一茶の句を思い浮かべたと
「ハナノモト、エガオデ、ヒトビトツドイケリ」みたいな句をニホンゴでそらんじてくれた。
「う〜ん、なるほど・・・」無知な私たち、文化の逆輸入。
お花見の季節になると彼らを思い出します。アーモンドの花は桃の花そっくりです。

チュニスへ戻る途中は、ナント、雪・・・・。6年ぶりとか。
10日以上待ったけれどガスボンベ2個充填でき、おおやけには禁酒国のイスラム教の地でアルコールも買えたし、御の字でした。

好奇心の目、目、目、目、目にさらされて疲れたり(たくさんの視線が武器になりうるのを実感)
ウエラのヘアクリームと思ったのが、実はちぢれっ毛伸ばしだったり(アフリカチック!?)
20分のタイムオーバーで駐車違反のトラバサミかまされ、罰金取られたり(こーゆーところはキチンとしてる)
都会ならではの些細な事件?もあったけどTozeurのオアシスへ帰り、ヤシ林の入り口で手を振る女の子の、花が咲いたような笑顔に救われました。

月光に照らされながらの温泉沐浴は・・・・寒・・・・

    


サバクの夜は寒いのだ


暁のオアシス
「今日もいい天気でーす」


洗濯物が良く乾く!


ここで骨休めをして、
明日はアルジェリア入国です。

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