NO2  いざ、タマンラセットへ!
1981年1月16日〜1月下旬

目的地はここ!
TAMANRASSET(タマンラセット)
1100KM
快適なオアシス・Tozeurを出発、チュニジアの国境へ。

ポリスチェック、待つこと2時間。ほとんどノーチェックでアルジェリア国境へ。

ここではワイロを要求されるが、フランスフランもないし、、、
断ると何やらグチグチ、、、

車内チェックの時にマルボロ一箱差し上げると、即、「OK!」

私の貸してあげたペンもチャッカリお役人様の胸ポケットへ。

カスタムにて外貨チェックと車の保険1ヶ月分。
相変わらずの土漠直線道路をひた走っていると、

ややっ!!ありました、憧れの砂漠が!

十年来の夢、風紋のある砂、流れるような砂。

はだしで砂の上を歩く。
アルジェリア入国1日目の宿泊地はこの砂丘のそばに決まり!

国境から30Kmほど。


砂漠の中、セーター姿で歯磨き。日中以外はとにかく寒い、、、、。
翌日も、ゆっくりと砂丘の中を歩く。歩くほどにサハラが広がる。
紺碧の空、風紋と風、風に流れる砂。
切り立った稜線の先から空に舞う砂、風紋は刻々と模様を変えいつまでも見飽きない。
思う存分はだしで歩き回る。はらうと、一粒の砂も足に付かない、サラサラだ。

サハラで遊ぶ
砂丘の中で羊の群れに出会った。
砂漠に生きるかすかな草をはむ羊たち。

にこやかな羊飼いのおじさんはサハラの砂の清らかさを語ってくれた。
すべてジェスチャーでの会話。気持ちがあればココロは通じる?!・・・・
外国語をマスターできない私たちの言い訳?

水のないサハラでは、この砂で手足を清め、それからお祈りをするんだ、と。
その日から食器(ホーロー製)の油分は砂で洗うことにした、水は最後の仕上げだけで充分。
おじさん、ありがとう!

底抜けに明るい空、あまりに美しすぎる砂の風紋。神。アッラー。
神がいると確かに信じられる、ひざまずきたくなる、涙が出るような美しさ。

サハラを撮る
はじめての街、EL OUEDに入る。

砂漠からながめるとかなり大きな街に見えたが、ちょっと走るとそこはもう街はずれ。

大きな砂の山が家々を押し潰しそうに街に迫っている。
ひっそりと肩寄せ合った土の家々は砂色一色。

呼吸してるような砂の山々、生命体とは別の何か違う生き物のような・・・・・。

街といわず、道路といわず、じわじわとおおいかぶさってゆく、電柱さえも埋めてしまう砂の山。

不気味な恐怖感がよぎる。

砂に埋もれた電柱
久しぶりにレストランへと、街をほっつき歩くが、ない、ない、メシ屋がナイ、、、
やっとあった一軒へ。しかし、とても高かった(当時の私たちには)
豆肉スープとスパゲテイで2220円。

二重丸印の街でこんなだから、これから先立ち寄るオアシスには何もないかも、、、と買い出しに努めた。
チュニジアより全て高い。が、あるだけラッキーと後でわかった。
ちなみに牛肉1kg 3500円(チュニジアでは900円)
コーヒー、タバコ、トマトピューレ缶、玉ねぎ、人参,カボチャにオレンジすべて高い。
フランスパン3本36円とこれだけはバカ安。
砂漠の中にこんなホテルが。(ホテル・オアシス)

洗濯、洗髪、シャワーのために泊まる。

安心しすぎて砂に突っ込み、こんなホテルの前で砂脱出作業をするはめに、、、。

人々についていえば、男たちの衣のまとい方がカッコイイ。
布きれ一枚の巻き方、ターバン、マント、ブカブカコート、すべてサマになっている。
お土産屋も子供たちもおおらか。チュニジアでの射るような視線は感じない。
砂の海の風土のせいか。
街を出ると、また直線道路と地平線が続く。
360度人工物のない世界、イバラ草とラクダの糞がたまに目につく。
そんなところに車を止め、のんびりとテントやイスの修理。

夕方、太陽が突然消え風が強まった。砂塵の夜空に、妖しげな満月の薄明かり。
これが「砂嵐」初体験。
一晩中揺れ続けるサンタ・カルロッツア。
砂嵐の時は動くべからず!走るべからず!
フロントガラスを風下に向け、じっとしてろ、と車の旅行者におそわっていて助かった。

次の日も風はうなり声を上げ続け、車はきしみ揺れ続け、窓の外は茫々と何も見えない。
グラグラ揺れる車の中、イスの修理や繕い物、手紙書きで気を紛らわせる。
三日と続く嵐はない、嵐は三日もすれば去る、と念じながら、、、。
今から思えば「若さ」かな?夕方のチョット寝がそのまま夜、そして朝に。
果報は寝て待てということか、14時間熟睡後、風は幾分弱まっていた。

街に戻り、パン、ガソリン補給後走行開始。所々砂に埋まっている道路。
またもや強風、そして砂塵が道路を流れ、地吹雪のよう。ヘッドライトをテープでおおい、砂害に備えた。

そして今日のコース、500qも360度地平線、どこまで行っても地平線。

今まで見かけた枯れ草も砂に埋もれた電線も「ラクダ横断注意」の標識も

とにかく何もナイ、空と大地。

あった!白い雲さん。それっとカメラ向けてるうちに消えてしまった、、、、。

次に現れたのはおまわりさん!そして連行された所は軍隊基地。
砂色一色の迷彩色に埋もれた格納庫、戦闘機、、、、。
この時は、位が五段階ほど上のエライサンに会い、釈放されて事なきを得た。
遠くにラクダのキャラバン見つけてたが、涙をのんで撮影中止!

砂漠の中の軍隊基地には懐かしい思い出がある。


1971年〜1972年、はじめての海外(ビンボー)旅行の折り長逗留したシリアのパルミラ。
地図を広げ、「わーっ!こんな砂漠の真ん中に町があるよ!」「オモシロソー行ってみよう!」と長いバスの旅をした。
無知な私たち・・・・。パルミラは知る人ぞ知る紀元前から栄えた隊商都市で、列柱や神殿、凱旋門など壮大な遺跡が広がっていた。

立派な遺跡のそばにこじんまりした土の村があり、ロバやニワトリの鳴き声がときおりのどかに聞こえてきて、私たちはこの村がすっかり気に入った。
はじめて地平線を見て「本物の砂漠」にあこがれたのも、ここだった。
広い遺跡の散策や、村はずれには土漠が地平線のかなたまで続いてて、何もかもが目新しく、新鮮!だった。
コーチャンは愛機ライカ3Fを駆使して白黒写真を撮りまくっていた。

・・・・と、ジープが止まり、軍服の男がなにやらまくしたて、怒っている。
立派な八の字髭をたくわえ、太い眉の下の鋭い目がオソロシイ見上げるような大男だ。
どうも、「ナニを撮ットルノカ?ケシカラン!!」と言ってるようだ。
「ニホンから来た旅行者で、決して怪しいもんじゃありませんデス。
わが国は山々に囲まれており、こんな地平線見たの初めてで、珍しい地平線の写真撮ットリマシタです」
汗だくで山並みの絵描いたり、地平線を指さしたりと、懸命の説明。
軍服の大男は納得せず「地平線が珍しいなどナニほざくか!カメラを出せ、フィルムを抜くゾ」と言い張っている。
そうはさせじと、こちらもガンバル。土の村に写真屋が一軒あった。

当時「白黒」現像に凝っていたコーチャンはあの写真屋で現像すれば「白黒」の決着つくではないかと提案。
しかし小さな村の写真屋の古い汚れた現像液で、、、、この写真は、捨てたも同然、、、、だけど。
ジープに押し込まれDPE屋へ。
小柄で穏やかな白衣を着た写真屋さんにフィルムを渡しながら、コーチャンは軍服大男を見上げて言った
「地平線しか写ってなかったらオマエを力いっぱい殴るゾ!」
「いいとも!」男の約束成立。
そして、穏やかな写真屋さんと私の目前で軍服大男は両足を踏ん張り、コーチャンは拳を握りしめ力いっぱい彼をブン殴った!
それからふたりは肩抱き合って笑いながら握手を交わし、一件落着と相成った次第。

このフィルムは使えなかったが帰国後コーチャンは銀座ニコンサロンと大阪で初めての個展「イスラム紀行」を発表した。

1998年パルミラを再訪。

立派なホテルが立ち並び、村は街に変貌、

ロバとニワトリの鳴き声はなく、整備された遺跡にはおめかしした観光ラクダがいた。

観光ラクダのおっちゃんと仲良くなった
当時長逗留した村の安宿、オリエント・ホテルも立派なホテルになっていたけど、
頼まれて描いた地下食堂の大きな壁画は壊されず保存されててウレシカッタ。

当時のホテルオーナーと四半世紀ぶりに懐かしの再会
(沢山の子供や孫に囲まれたオーナーは左より五人目)

家に招待され手厚いおもてなしを受けた

振り返れば思い出いっぱいのパルミラは、サハラへの旅の入り口だったのだ。
GHARDAIA(ガルダイア)は谷底のオアシス。

アラブ人とは違う人種が暮らしていた。
白人のように色白で、東洋人のように静かな眼差し、ホッとするおだやかな人たち。

谷底の町は白い積み木を積んだように美しく、丘の上から眺めた夜景も忘れられない。
盛大に焚き火をした後、残り火がひっそりとまたたいているような感じだった。

町と人々の風情が一体となった隠れ里みたいな不思議な印象のオアシス、ガルダイア。

そこでトイレットペーパー購入(10個1800円!)

とにかく走る、ひたすら走る。ただただ地平線。

故障した車が止まっていた、部品が来るのを待って3日目だとか。
どうすることもできずバイバイ。

時々せまる砂の丘、だんだんに砂の色が変わり、とうとうオレンジ色になった!!
道路をはずれてオレンジ色砂丘のそばに泊まる。

日没後の残光とグラデーション、そして深い濃紺の空。
星のまたたきが始まり、やがて星空が丸い天井となって大地と砂丘と私たちを包む。

日の出前に目覚め、暁の砂丘を眺めようとカーテンを開けると、窓は氷ガラス。車中も凍っている!
昨夜寒さで目覚め「モモシキ」はいたのは正解だった。

ラジオ体操、朝食の後ペーパードライバー通世の運転講習。
通行人も障害物もない、うってつけの講習場所だったが、運転の腕は上がらず仕舞い、、、。

今日もまた、どんどん走る。
昨日のような砂丘はなく真っ平ら、途中デスバレー級の地形を見る。

そして地平線には湖が浮かんでいる。蜃気楼だ。行く手に湖がある不思議錯覚。
自転車の旅人を追い越した、脱帽。
IN SALAH(インサラ)のオアシス着。

ガソリンを入れた後、サンタの調子狂う。運転講習なんかやったから?かな??
この旅は今後どうなるのであろうか?
OH!アラーよ、我らを守りたまえ!

翌日、エンジンを見てみる。やはりプラグに電流がきてない、ポイントの接触不良か?
見物に来た子供ずれのオジサンの車でコーチャン、オアシスで唯一の修理工場へ。
グッド・メカニシャンらしき人と戻ってきた。

デストリビューターをばらし、ポイントを磨きなんとかエンジンをかけて我らがサンタ・カルロッツアを工場へ運ぶ。
プラグ2本(NO3,4)交換、ファンベルトが音を出すのが多少気になる。
今度大きな街に行ったらポイントとプラグ(NO3,4)を交換しよう。・・・・と、いうことらしい。
私は機械音痴なのですべてコーチャンにオマカセ。

お次は食料買い出し。
肉屋はすでに閉店、、、、焼きたてパン4本のみ入手。
以前会った日本人旅行者、男ふたりに再会、タマンラセットへもう行って来た帰りだとか。
ホテルは一軒しかなく高いだけでよくないらしい。
タマンラセット行きのバスは四駆のトラックを改造したものである。さすが!

よーし、明日は早朝出発だ!

・・・・やれ、やれ、エンジンがかからない。
またもや修理屋さんのお世話になる。
彼のことを親分ではなく、「親ビン」と呼ぶことにした。若いけどしっかりした大男。
キャブレターとポイントの不良。

キャブレター分解して組み立ててみるとどうしても小さな部品が2個ほど残る??
サンタくんはツインキャブというタイプのフォルクスワーゲンなので、もう一つの壊れてないお手本も分解し、それをお手本に組み立てる。
丸々一日がかりで分解修理完了、ポイント交換。
「親ビン」とコーチャンが車につきっきりの間、私はご近所のトウアレグの家でオシャベリ?

お茶をごちそうになり、指輪と腕輪まで頂いてしまった。

こちらの女の人はアクセサリーをやたらいっぱい身に付けている。
細い腕輪を何本も両手首にジャラジャラ、素足の足首にも。指輪も耳飾りも首輪?もにぎやか。
それがまた、とてもよく似合っている。

金、銀の高級品でも、ガラスビーズや真ちゅう、プラスチックのおもちゃみたいなのでも「女」っぽい感じ。
なんにも付けてない私の手を見て、自分のをはずしてくれた若いお母さん。
私も彼女たちの仲間入りができたようで、ウレシカッタ。

大きなザルでクスクスを作っていた。
原材料は小麦粉、それがどうしてあんな細かい粒々になるのか、不思議。
手でもんでは、ザルでなんどもひっくり返す、を繰り返している。

昼過ぎから夕方までかかって、これが夕餉の主食になるのだろう。
鶏が庭を駆け回り、おさな子が母親にまとわりつき、
白髪の長い三つ編みが素敵な品のいいおばあさまも笑顔で豆の殻むきなどやっている。

ゆっくりとした日常の時が流れている。旅する者に欠けている時間がそこにはあった。

車の方はタイミング不良気味だけどなんとかいけそう。

さて、おいくら?「日本円持ってるか?」と、親ビン。22000円を550DA(デイナール)と交換。
1DA=約60円のようだけど、いいのかな〜。

その夜は、親ビン宅でクスクスをごちそうになり、そのまま泊めていただくことになった。
彼の美しい奥さんが半日かけて作ったクスクスかしら?

初めてお邪魔するこちらの家。
家具はいっさいなく、丸いテーブルがひとつとテレビ一台。テレビがあるのは裕福な証拠?
床にはカラフルな敷物、その上にマットを敷いてのザコ寝は日本のフトン感覚。
支払いは明日ということで、ジャン・ギャバンのテレビ映画半分見ながらオヤスミナサイ、、、、。

翌朝、エンジン一発!OK!

修理代はいらないとのこと、いいのかな〜?
両替しただけで、私たちの知らない換金ルートがあるのかも。

記念写真を撮って、バイバイ、お世話になりました。
左端が親ビン
お茶屋でひと休み
故障四日目にしていよいよタマンラセットへ出発。

地平線から山が見えてきた。
草木一本生えてない岩山は、大きな岩を山積みにしたような感じ。
岩は砂で削られ角がない。
岩漠とでも言おうか、そんな地形になってきた。

530km走行中、すれちがった車は十数台、ガソリンスタンド二軒、
トウアレグのお茶屋一軒。
1月29日・アルジェリア入国2週間目
ついに到着!最終サハラ目的地・タマンラセット。
途中の風景は昨日後半のような奇怪な岩山の連続、

空には巻雲たなびき、幻想の世界が次々と繰り広げられるデコボコ道のハードドライヴだった。

街に着いてしまうと、今通ってきた月面世界のような大地がウソの様だ
タマンラセットはガソリンスタンドがふたつもあり、銀行、郵便局、飛行場もある大きな街。
肉屋が午前中しか開いてないのが残念。
トウアレグ族の男たちが精悍で実にカッコイイ。
黒人も多くアフリカへ来た実感が湧く。
皆のんびりしていて平和な感じだ。

左の写真は、一緒に写真撮ってヨ、と言われて
目指すキャンプ場は良くなかったので、旅行者に教えられた
「泉のあるキャンプ地」を探す。

ホガーマウンテンが夕陽に映えて印象的だった

ワインで乾杯!
翌朝、残り水で洗ってワイパーにぶらさげておいた小物が
朝食後にはほとんど乾いていた。

街で肉屋を捜す。二軒あったが「肉がない」ので閉店中なり。
大きな冷蔵庫で保存するという生活ではないので肉も野菜もある時だけ「ある」のだ。

卵を大事そうに抱えた男とすれ違ったので、そっちの方向に歩くと、露天の卵屋あり!
貴重な卵が手に入った。

水を満タンにして、大荒原ホガーマウンテンの裏側へ回る。
ビニールテントを設営。アフリカの大地にポツンとひとつの人造物、我らの家。
かわいらしく、頼りなさそう、、、でも、かっこいいのだ。
夕食は卵のちらしずし。
次の日も不動の態勢でかわいい我が家の生活を楽しむ。
空は底抜けに青く、太陽はギンギンのギラギラ。でも車の中や日影は冷蔵庫の中?みたいに涼しい。
手紙を書いたり、日光浴をしたり、のんびりと過ごした一日。
だーれもいない、だーれも来ない真昼。
シャボンをつけて身体と頭の洗濯、約10日ぶり。蒸し風呂ビニールテントの中で、ああ、最高!

サイズ:350×220
198212
遊牧

羊飼いの
少年、少女が

ひっそりと通り過ぎた。
サイズ:355×225
198213
サハラの姉弟

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