NO,14 目的地を断念して・・・
1983年12月25日〜12月28日
 地図とルートはここをクリックしてください(復路の地図更新しました)
12月25日(日) korientze〜Sarafere のあいだ、ブッシュの中・泊

マリ共和国はその昔、マリ王国として繁栄していた。
12世紀〜14世紀末の400年間、サハラのまん中にマリ王国の中心都市として「トンブクトウー」があったという。
ラクダキャラバン隊の要、地中海とサハラを繋ぐ交易都市「トンブクトウー」
黄金の都として栄華をきわめつつ、その後もイスラム学芸の中心地として文化の都でもあったとか。

今は昔のマリ王国、幻の都「トンブクトウー」を訪れるのがこの旅の最終目的だった。
砂漠の中の土の都は風化に風化を重ね、往時を偲ばせるものは何もないかもしれない。
だけど何か惹かれるものがあり、「Tombouctou トンブクトウー」への道を辿ることにした私たち。

のっけから行き過ぎて25km程戻り、なんとかルートへ乗った。
ミシェランの地図によるとグリーンロードである。
緑色の線で表されているのはいわゆる景勝地。奇岩であったり、砂丘であったり。
ここらは湿原地帯のようである。
雨期には一面のお花畑か、それとも湖水になるのだろうか。
今は背丈の低い枯れた草地が茫々と広がっている。

そんな風景の中に突如現れたフォトジェニックな女たち!
遠目に見ると、ひと昔前のマンガに描かれた火星人のようだ。
頭上に乗せたひょうたんが、とにかく大きい。
それをまた大事そうに布でくるんで、一体なにが入ってるの?
大荷物、高々とかかげ、大草原を闊歩して行く女たちのカッコよさ!
後ろ姿にカメラを向けると「キャッー」と言って逃げるカワイサ。
前に回ると「カドウー」と叫びながら駆け寄って来るたくましさ!
忘れられない光景。
(クリックすると別ウィンドで開きます)

ここいら辺、道らしきはあっても車の「轍」はなく、
たまにあるワダチはロバの引く荷車だったりしてなんとも心もとないコト、、、、。

行けるところまで行って、今夜の泊地はブッシュの中。
向こうのブッシュでも二カ所焚き火が燃えていた。
このあたりではロバに乗った黒人ジプシー風の家族をよくみかける。
ロバの引く荷車にはゴザと臼と杵と鍋、父と母と小さな子供たち。
プライドが高そうな面構えである。
母はたいてい乳房を露わにしている。
穀物収穫期の脱穀作業を生業としている季節労働?一家で出稼ぎ?と勝手な推測。
12月26日(月) Douentza〜Boni のあいだ アカシアのブッシュ・泊

二十年以上たっても忘れられないことがある。
この日の出会いもそのひとつだ。

部落に入ると道がなくなってしまうこのルート。
道を尋ねるとブル君のまわりに幾重もの人垣ができてしまう。
わっと子供たちが前列に押しよせ、大人が外側を取り囲む。
インテリ風のお方がフランス語で説明してくださるが
「ノン、コンプランパ(サッパリわからん)」なので手で方向を確かめた。
部落を出て少し走ったところでトワレグ風の二人に出会いまた尋ね、確かめつつ進んだつもりだが、、、、。
道のふぜいがロバ道のようになってきた。

ハタと止まって迷っている私たちの前に瓢と現れた御仁あり。
両肩に渡していた一本の杖で砂地に地図を描き、足と杖で「ここは足で歩く道だ」と教えてくれた。
尚も心配だからか、同乗して「車道」まで案内してくれるという。
太陽で方向を確かめながら、アッチだ、コッチだ、ソッチだ。
ずいぶんな距離を走った。
この御仁、次の部落まで用事で一緒に行くのかな、と思っていた。
ところが、「車道」に出るやブル君から降りて笑顔で手を振り、今来た道を戻って行ったのだった。
手斧一丁、杖一本、飄々と遠ざかって行く後ろ姿が神か仏のように思えた。
あの遠い道のりを歩いて引き返して行ったのだ、なんの報酬も求めず。
私たちも金品の謝礼など思い浮かびもせず、ただありがたく後ろ姿を見送っていた。
忘れられない心洗われた出会いだった。

お次の「出会い」はパンク。
ブル君初の大怪我、、、、。
タイヤの横がバッサリ切れていて、これは不治。
スペアタイヤと交換する。
バマコでナットレンチを手に入れておいて救いだった。
フートポンプとコンプレッサーも壊れている。
轍ひとつない細い道で、スペアタイアもない状態でこの先何か起こったら、、、、。
人々の親切だけでブル君は救えない。
私たちは引き返すことにした。

「早く帰ろう!」
昨日走ったブル君の轍を追ってひたすら戻る。
途中、来た時と同じ地点で砂に捕まってしまった。

大きな道に出てアカシアのブッシュに身を寄せ、今夜の泊地とする。
杖を持ち帽子をかぶった美少年が静かに、静かに私たちの行動を見ていた。
彼の帽子は独特だった。
「かさじぞう」の笠を複雑精巧な模様で立体的に色彩豊かに編み上げたような、初めて見る帽子だった。
長い、長い時が経ってやっとなっとくしたのか、挨拶して静かに立ち去って行った。
純粋無垢なまなざしだった。
12月27日(火)  アスファルト道路の脇・泊

今日は難所があるけれど、「復習」なので捕まりたくはない・・・・と思ったが。
ナント、4回、いや5回か?砂の魔手にとっ捕まってしまった。
おまけに私が悪性の下痢で手を貸すことが出来ない。
コーチャンひとりで悪戦苦闘の砂脱出作業。
前回子供たちがワッと来た近くでは、やはり大人や子供が手伝ってくれた。
大型トラックに大勢の旅行者が乗っているのに前後して行き会う。
またどこかで出会うことだろう。

疲労困憊しながらも、あの憧れのアスファルト道路に出た!
この道路から離れたくないので、ここを泊地とする。
今日は朝からドン曇り。
砂の粉が空を覆っているのであの巨岩山の雄姿もうすぼんやりとしか見えない。
風景全体がトレーシングペーパーを掛けたようにペタンコだった。

子供が三人、生まれたての子羊を抱いて見学に来た。
12月28日(水)  Gao(ガオ)キャンピング場・泊

アスファルトの道を高速道路なみにぶっ飛ばし、ニジェール河の舟着場へ到着。
フェリー舟が接岸しようとしている。
なんて、ラッキー!
・・・・と思いきや、いつ出ることか、、、、。

北のサハラと南のサバンナを分かつニジェール河の渡し場はどっちへ向いても面白い。

いかめしくもかっこいい砂漠の民、トワレグ族の男たち

ノンビリと渡し舟を待つ。人間も家畜もブル君も。

タンクローリー、ランドクルーザー、そしてブル君、
車は三台まで。
     お次は砂漠の舟、ラクダ君の番でしょうか。
Gao(ガオ)ではまずポリスへ行き滞在許可証を入手、今日は平日なのですぐにOK。
7ヶ月もアフリカを回っているという日本人青年と少し話した。
それぞれの旅がある。
キャンピング場へ入る。
明日からの旅路に備える心構えをし、買い出しに出かけた。
1350kmの道程、これからのサハラ越えに必要な食料品を河辺の市場で物色。
でっかいラグビースイカにチャボの玉子、川魚も5匹ほど。
川魚は野菜と共に味噌で煮込んでみた。
こんな料理も当分はお預けだろう、ガオのキャンピング場ならではのメニューだ。

前日から前後して走っていたトラックツアーと再会。
GBナンバー、イギリスのトラックツアーにはアメリカ人やオーストラリア人も混じっているようだ。
トラックの荷台を座席に改装にしたベンチ、オフロードではお尻が痛いだろうな〜。
幌はあるものの砂埃や直射がもろに当たる荷台、みんなバンダナやスカーフで覆面して乗っていた。
焚き火を囲んで楽しそうに団らんしている彼らは青春まっただ中の若さ。
私たちも夕食後のひとときをゆったりと過ごす。

素朴なささやかなキャンピング場に、突然とてつもないドイツの大型バスが入り込んできた。
15トン程もある2階建てバスが2台。
この大きさでお客は1台に17名とか。
テーブルにテーブルクロス!ゆったりした椅子。
色調も車体同様、赤と黒に統一されている。
スッタフが次々とセッテイングしてゆく様子を一同口をあんぐり開けてながめていた。
お客は小綺麗な初老の紳士、淑女。
実に不似合い、、、、。