NO,15 スズナリTOYOTAとの出会い  
1983年12月29日〜31日
 地図とルートはここをクリックしてください(復路の地図更新しました)
12月29日(木) 大きな石のそば 泊
水、ガソリンは満タン。
出発の朝だというのに、パンが見つからない。町中のパン屋の棚がカラッポ、こんなことは初めてだ、、、、。
そっか、昨夜のドイツ大型ツアーバスが買い占めたに違いない!
小さいのをやっとこ一本見つけた、日本円にして30円也。長期航海?なのに、小さいフランスパン一本か、、、、。

ニジェール河畔の町GAOを後にして、いよいよ大サハラ・砂の海への帰路に乗り出す。
最初の上りの難所をうまく突破。
その後も次々とソフトサンドをこなしていった。
「うまい!」「やった!」「ハナマル!」声援連発。
とある部落で念のために「Tessalit?コッチ?」と尋ねてみた。
「チガウ、アッチ」
「30kmバックしたところからムコウ」・・・・だと!!
砂に捕まらずに来られただけでももうけモンだ。
やや疲れ気味になりながらも自分励ましつつ、もと来た道を戻る。
20数km行ったところで牛飼いのじいさまに出会った。
「Tessalit?」
「少し戻った所を左より」だと。
じいさまは太い杖で足元のワダチを叩き、「この道をたどれ!」という。
なるほど「この道」を行けばよいのだ。
じいさまの太い杖に励まされ、メインルートの太い轍を追って走る。

見覚えのある元湿地帯を疾走。
前回同様、久しぶりにイスとテーブルを青空の下に持ち出し、優雅なランチタイム。
大空と大地と私たち二人だけ・・・と思いきや、音もなく近づいて来たトワレグの少年あり。
ひたっとくっつくようににじり寄り、私たちの真ん前で静かにこちらを見ている。
見られている方はなんだか落ち着かない。
バマコのスーパーマーケットで買ったヨーロッパ製のマヨネーズが口に合わなかったので瓶ごと少年にあげた。
彼はひと舐めして「ノン セ ボン(マズイ)」と顔をしかめた。
ほんのささやかなひとこまだが、めったにヒトと出会うことがない地帯なので、妙に印象に残っている。
私たちが走り出す時、彼もマヨネーズの瓶を抱えて立ち上がった。

またひた走りに走った。
アンパン車に出会う。
フランス語で「故障」のことを「アンパン」というらしく、その頃私たちは故障車をアンパン車と呼ばっていた。
アンパン車に水とパンを差し上げた。あげるのは気持ちがいいもんだ。

次に出会ったのもアンパン車でタイヤのパンク。
「粉ミルクあげるから押してくれ」という。
それは断って、拾ってとっておいた自転車チューブのゴムをあげた。
パンクは直りそうもないので、先へ進む。

お次はフォルクスワーゲンのワゴン車でドイツ人のグループ。
ブル君はベンツだし、ドイツナンバーだし懐かしかったかも。乗ってたのは日本人だったけど。
「このルートを知ってるか?」と問うので
「ヤー、ヤー!2回目だよ」と、思わず胸を張る。
「ヒエ〜〜!!」ナント 物好きな・・・という表情。ガオまでの道路事情を教えてあげた。

その後も天国ロードをひた走り、やがて夕方。
ブッシュの陰に野生動物発見。ハイエナだ、きっと!
それを機に大きな石のそばに止まり、泊所とする。
今夜は静かだ。
大きな石は温かく夕餉の卓を見守ってくれた。
12月30日(金)  Timiaouime手前?km・泊
いつものように日の出前起床、出発準備。しっかりした轍の天国ロードを突っ走った。
前回の往路よりかなり東に寄れば、こんなに楽ちんな道だったんだ。
砂の状態も変わり、あと100km弱でTessaliteだ。
うまくしたら午前中にマリ出国か!?車内の埃をすこし払い、国境目指して走る。
・・・と、急にソフトサンドとなり、砂の魔手に捕まる。
やれ、やれ、これも毎度のこと、根気で脱出するサ。


スズナリトヨタ一部の面々

もう少しで脱出成功というところで、スズナリのトヨタ来たりて止まる。
トヨタピックアップトラックから、助っ人がぞろぞろ。
これでもか、というくらい大勢降りてきた。
「OKだ。来なくていいよ!(メンドウだ)」
「何処へ行くのだ?」当然顔で「Tessalit」と答えたところ、このルートはぜんぜん違うという。
唖然、、、、、失望、、、、まさか!?
地図と照らし合わせれば、白点線の道を辿り今は「線」さえない地点にいるらしい。

白点線とは「かろうじて道」らしきがあるという表示。
彼らはこのルートで「Timiaouime」というアルジェリアのボーダーへ。
そこから、白点線の道で「Tamanrasset」へ行くという。
目的地は同じだ、道もいいらしい。
途中から「Tessalit」へ行く道?があるので一緒に行ってくれるとか。
しかし、1日に2回も確信を持って迷子になった我々が「線」さえない道を独力で「Tessalit」に行けるだろうか?
否!!
天の思し召しと、トヨタ組にくっついて「Tamanrasset(タマンラセット)」入りすることに決定。

やっぱ、木陰がいいね
スズナリトヨタのピックアップトラックは後ろから数えられる限りでは20人くらいのヒトが山積み。
昼休みに確かめると27人乗ってるんだと!
パイプ枠にしがみついているのが10人ほど、運転台の屋根に3人、運転席と助手席3人を除いて中には人々がうじゃ〜と座り込んでいる。
夜中の2時から揺られて走りっぱなしで「ファテイゲ(疲れた)」だと。
その割には皆元気そうだ。
トヨタ組の昼休み、三々五々、ぶらぶら

アブドウライという青年が英語ペラペラ、仏語、独語、スペイン語、各部族語もペラペラというインテリで、大助かり。
モハツというのが運転手でインサラのオヤビンの従兄弟のような青年。
昼休みは長く、大鍋で魚、玉葱、ブイヨン、トマトピューレのシチューにお米を入れたマリ風炊き込みご飯をゆっくりと作っている。
少しお相伴したが、とてもおいしかった。
こちらは大スイカを細かく切ってみんなに振る舞う。


後ろの白い枝は途中で拾った枯れ木、
貴重な燃料


大鍋で作ったマリ風炊き込みご飯は、洗面器のような容器に移され「いただきまーす!」
手で頂くのが正式な食べ方
5時には国境へ到着とか。
地獄に仏、迷子にマリ人。
ほっとしながら、猛烈な砂埃をまともに受けつつどんどん走る。
・・・と、アンパン車あり、タイヤのアンパン。彼らはそれも助け、直ったのを確かめて再発進。
尚も行くと、またもやアンパン車。
10人以上の男が助けを待っていた。
そのうちの6人をブル君に同乗させて走る。すごい重さ。
マリ人、モハツの運転技術は的確だ。
飛ばせるところはすっ飛ばし、尖ったものは小石ひとつでも避け、分岐やソフトサンドでは必ず止まって待っていてくれる。
砂漠のニンゲンの篤き仁義。

色々あったので5時を過ぎた。ブッシュの中泊まり。翌朝6時出発、7時着だと。
国境までわずか2kmとはどういう意味?

いつものように車内掃除。
名ドライバー、モハツが見学に来た。
水道と水道の止まった後に出るプルルルンという音にいたく感激、水道をひねるたびに手を叩いて喜んでいた。
「マダムのオナラ」のようだと!?
諸々の設備、ガス、トイレ、戸棚、冷蔵庫、電気ストーブetcを熱心に見学、感心していた。
が、いざフトンを敷く段になってオドロキ、アキレカエリ、半分小バカにした顔を大げさに示した。
「部屋」の中でフトンを4枚も敷き、その上寝袋、羽根枕。
彼らは毛布一枚で砂の上に寝るのである。いや、はや、か弱き文明?人よ、、、、。

やがて満天の星空。
モハツたちモスリムはあの小さな羽子板七つ星スバルに向かって祈りを捧げるのだという。
メッカはここから丁度真東に当たるのだ。
祈りのコトバは難しかったがその大意は「大きな素晴らしい一日をありがとう」(メルシー グラン ボン ジュール)
そして胸がすっきりするのだという。
砂漠の民にイスラム教は欠かせない、一心同体の宗教だ。

夜更けに目覚めると焚き火が三つ燃え続け、寝ずの番で火を守っている人影が見えた。凍るような夜。
12月31火(土) アルジェリア・Timiaouimeより150km地点・泊
昨日のトヨタ組の話では国境まで2km、朝6時出発ということだったので5時起床、早々に出発準備をして彼らの様子を見るが、
まだ大きな薪を放り込んで焚き火に当たっている。
 暁の中の焚き火  夜が白んでも、ぶるるる、寒い、、、
 夜が明けても、まだ、まだ、寒い

「もう少しあったまろう」砂漠の夜は寒いんだ

昨夜はとても寒く全員眠れなかったとか。8時半頃出発、2〜30km走るが国境はまだまだ先のようだ。
そのうちトヨタ車はガス欠に、、、、。
オーナーらしきモジャというボスを乗せ国境の町へ向かう。途中砂に捕まるが、これはすぐに脱出。
20kmほどでTimiaouimeへ到着。
なにやらガソリンチケットを捜して手間取っている様子。
2時間ほどしてジュリカン一本分のガソリンを積み同じ道を戻る。
他の車に助けてもらったらしく向こうからトヨタ組が走ってきた。再会をずいぶんおおげさにヨロコビあい、再び国境へ向かう。

ポリスコントロールとカスタムチェック、これは軍が代行、タマンラセットで税関へ行けとのこと。
我々の手続きは終わったが、トヨタ組の姿が見えない。
しばらく待ってみるが来ない、、、。
モジャボスを見つけ、いつ出発か尋ねる。
なんと、彼らのトヨタは国境を越えることができないとか!?
申請用紙の不備らしい、、、、。
やっとの思い出ここまでたどり着いたのに、ブル君はじめアンパン車を助けながらやって来たのに、、、、。
あのスズナリのギュウ詰めで引き返すのか、、、、。

この先の道はいいから、我らだけでタマンラセットへ向かうように、とのこと。
そして、ひとり乗せてくれないか?と。モチロンOK。
同乗したのはインテリのアブドウライ。
心強いが、彼は入国手続きをやってないらしく(つまり、不法入国)後部座席に隠れている。
チョット不安のタネ、、、、。
3時頃出発。
さすがアルジェリアだ、「道らしき」ではなく「これは道」を走る。
5時、いつものように泊地を決め寝る準備。
アブドウライもおとなしく掃除を手伝っている。

今日は大晦日。
お蕎麦はないので、マリ米の年越しオジヤを作る。
以前にちらっと記したが、オジヤを盛った黒いプラスチックの汁碗をアブドウライが懐かしそうに眺めている。
「自分の国にも同じような器がある」と。
彼の出身国、海岸沿いのコートジボアールにはココナッツヤシが繁っているのだろう。
椰子の実の殻は食器にもなるのだ。
砂の海でプラスチック椀の年越しオジヤを食べながら、海岸線に繁る椰子の木に思いをはせた大晦日。

明日、元旦はどんな日になるのだろう。