NO1 いざ、アフリカ大陸へ! |
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一台目のワーゲンは後ろの座席には小さな窓が一つだけという酒屋の荷物車で、車体にはデカデカと宣伝文や酒瓶の絵。 今と違って当時のヨーロッパは国境の検問が厳しく、「怪しい酒屋」と思われないよう酒瓶と文字は赤と緑のペンキで塗りつぶしました。ますますハデになったかも、、、、。 12万円と格安でしたが、ノロノロとしか走らない故障続出の超中古車に「アルマジェロ」という名前を付け、かわいがり、毎朝祈る様な気持ちでスタートキーをかけてましたっけ。 祈りむなしく、アルマジェロくん、ついにダウン、、、。 |
そして今の二台目中古車。 モチロン窓もあり、ピカピカの真っ白な車体です。 うれしくて、うれしくて「サンタ・カルロッツア」 イタリア語で「聖なる馬車」という舌かみそうな名前つけ、 通称「サンタ」と呼ぶことにしました。 |
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1981年1月1日〜15日 年が明けても街の様子は昨日と同じ、イスラム教国なので「正月気分」の気配なし! モスクのマイクから定時にコーランが響き渡っています。 ふたりだけで、「明けましてオメデトー!!」昨日のタコ、ワインとお雑煮で新年を祝う。 元旦くらいのんびりしようと、スークをぶらぶら見物。 ベリーダンス(へソ出しダンス)の派手な看板が目につく。 ヴェールを目深にかぶって髪や肌を人目にさらさないこの国の女性が、あんなセクシーなダンスを披露するのか?! 以前バクダットでお世話になった日本人商社マンの奥様が 「観たわ」と言っていた、イスラム教国では有名なショウであるらしい。 私たちは観ませんでしたが、コーチャンはザンネンだったかな? 翌日からは忙しいニホンジンに戻り都会でしか出来ないことをこなす。 隣国アルジェリアのビザ申請、郵便局、銀行、ガス屋、やっと見つけた手頃なホテルでシャワーや洗濯。 ふうーー! 5キロのガスボンベを充填できるのが一週間後とか。ボンベを預け、1月3日にはチュニスを後にし、チュニジアをアチコチした。
ローマ遺跡やカルタゴ遺跡をめぐり、その昔にもこんなふうに気持ちの良い風が吹いていただろうか・・・などと、しばし郷愁にひたる。 遺跡は生活や文明の跡、そして戦いの跡でもある・・・・。 仰ぎ見た石の列柱が、紺碧の空に権力者たちの愚かを物語っていた。 ケンリョクシャたちと無縁の住居があった。
織物の町ガフサでは模様と色使いに感動。
色々なお気に入りの中でもきわめつけは、南部のオアシス・Tozeurです。
夕食後オランダ人カップルからお茶に誘われて彼らの車へ。 何年もふたりでキャンピングの旅を続けているとか。旅の話しに花が咲いた夕べ。 俳句にも造詣が深く、ポルトガルで満開のアーモンドの花と優しい人たちに会い、一茶の句を思い浮かべたと 「ハナノモト、エガオデ、ヒトビトツドイケリ」みたいな句をニホンゴでそらんじてくれた。 「う〜ん、なるほど・・・」無知な私たち、文化の逆輸入。 お花見の季節になると彼らを思い出します。アーモンドの花は桃の花そっくりです。 チュニスへ戻る途中は、ナント、雪・・・・。6年ぶりとか。 10日以上待ったけれどガスボンベ2個充填でき、おおやけには禁酒国のイスラム教の地でアルコールも買えたし、御の字でした。 好奇心の目、目、目、目、目にさらされて疲れたり(たくさんの視線が武器になりうるのを実感) ウエラのヘアクリームと思ったのが、実はちぢれっ毛伸ばしだったり(アフリカチック!?) 20分のタイムオーバーで駐車違反のトラバサミかまされ、罰金取られたり(こーゆーところはキチンとしてる) 都会ならではの些細な事件?もあったけどTozeurのオアシスへ帰り、ヤシ林の入り口で手を振る女の子の、花が咲いたような笑顔に救われました。 月光に照らされながらの温泉沐浴は・・・・寒・・・・
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