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モモちゃんの生け花(早くこれまでの元気な生け花を公開出来ることを祈ってます⇒ 2004年版へ  2005年版へ  2006年版へ
通世の母、モモちゃん(百栄)は大正2年生まれ。
今年(2007年)5月で94歳になります。
モモちゃんの入院日記(93歳としては元気なモモちゃんだったので最初は母もまわりもうろたえましたが)
実は昨年12月29日朝、体調を崩してしまいました。
25日までは年賀状書きも終え、日に日に自力で動けるようになりつつあったのですが
急に動けなくなり話せなくなってしまい救急病院集中治療室へ運び込まれました。
すぐにCTIを撮ったところ左の奥深くに脳内出血していました。この場所は右半身運動神経と記憶をつかさどる場所です。
幸い出血は止まり頭はしっかりしており記憶も取り戻すことが出来てきましたが、まだ様態を見る必要があり翌日脳神経内科へ入院いたしました。
まだ安心は出来ませんが皆様、病院関係者、家族の助けを借りながら是非とも元気に自宅に戻れることを祈っています。
1月1日現在は病室にて点滴を受けており、右手は動かず声を発することが出来ませんがホワイトボードに文字を書く努力をしましたがあまりうまく行かず文字ボードを指さし「寝間着と下着を替えてほしい」と伝えることが出来ました。
看護婦さんに着替えさせて頂いた後「看護婦さんありがとう」と伝えることも出来ました。
まだ入院患者初心者で日によって調子が変動しています。

この下の書き込みは上に行くほど最新報告です
2007年12月2日
沢山の皆様のおかげで通夜、葬儀も済ますことが出来

12月1日夜、モモちゃん自慢の客間に戻りました。

弔辞を頂いたモモちゃんの弟、射場信夫が自宅札幌に戻る前
面会に来ていただきました。

親族一同、天寿を全うしたモモちゃんにあやかり

これからしっかりと生きていかねばと話し合いました

皆様、今後とも宜しくお願いいたします

後日モモちゃんのサイトアップする予定ですが
取り敢えずのご報告です
2007年11月29日 記
お知らせ:昨日11月28日19時37分、モモちゃんが天寿を全ういたしました。
松尾百恵の名前が表すように百歳までは栄えませんでしたが94歳!
なんと歯も全て自分の生きた歯で虫歯も一本も無し!ギネスブック物です。
これがモモちゃんの生きる原動力の一つと思われます。
それはそれはすばらしく、又力強い生命力でした。沢山の沢山のエネルギーを頂きました。
その生き様は私たちにとっては100点満点、いや200点満点だと思っています。ありがとうモモちゃん!!

通世の立ち会いの下、心でお話伝達をしながら静かに静かに安らかに天国へ逝きました。
モモちゃんに感謝すること一杯です。

又私たちを支えていただいた多くの知人、友人方々にも感謝いたしております。ありがとうございました。
通夜、葬儀の日程も決まりました。
モモちゃんの要望通り近くの東福寺(西国分寺北口)・武蔵野斎場にて行うことになりました。
お坊さんは茂さん、モモちゃんのお墓がある妙法寺ご住職にお願いいたしました。
11月30日午後7時より〜(斎場には一晩付き合う予定です)
12月1日午後1時〜2時に葬儀式、お見送りとなりました。

又このサイトの上にある「モモちゃんの生け花」シリーズ見て、でいただけるとありがたいです。
2004年、2005年と3年間のモモちゃん力作です

トップページに今年のモモちゃん年賀状アップしています。
(2007,10,07,記)
久しぶりの書き込みです。というのはその日その日に一喜一憂するのではなくモモちゃんの今日、今の現状を素直に尊敬しながら対応したいと思い書き込み躊躇していました。
多くの皆さんの励ましもありモモちゃんなりに生きています。
モモちゃんに教えられることも沢山あり感謝しています。

近況報告です
実は3ヶ月前から医療制度上の既定により都立神経病院から転院せざるをいけない状態になっていましたが転院先のベットが開いておらず6ヶ月の入院状態が続いておりました。
その間病院スタッフの皆様方の丁寧な看護のおかげでそれなりに体調順調に過ごしておりました。
10月4日やっと元の小平にあるリハリビ病院へ無事転院出来ました。
(ストレッチャーで移送したのですが病室から出るとき盛んに右手でメッセージを伝えようとしていました、なんとスタッフの方々にお礼を伝えたかったようでその場にいた看護婦さんの手を握り握手をしました!

前回入院していた同じ病院ですが病棟は変わりました(回復期リハリビテーション病棟ではなく療養型病棟です)
以前も記しましたが非常に明るくスタッフの方々も丁寧に対応してくれる病院です。
介護車両でストレッチャー移動といっても6ヶ月ぶりの外気、ベットからの移動などかなり体力使ったと思うが問題なし。
それにモモちゃんの親族で一番血の繋がりのある北海道在住の弟ご夫妻の面会と重なる。
しっかりと理解してくれ喜んでくれた(手を握って目を見つめて)。

場所も変わったし大勢の人たちとも会ったしかなり疲れたのではないかと思い通世(通世は羽田まで弟ご夫妻を見送りに)のお姉さんと少し時間をおいてのぞきに行ってみたところ安定していた。
「今日は盛り沢山だったのでゆっくりしてね」と声かけしたらうなずいてくれた。

少し病院までの距離は遠くなったが通世は新しく購入した電動アシスト自転車で行ける距離。自宅よりほぼ5キロ弱。
その後毎日通世は面会に行っているが安定しているとの事。
(2007,05,21,記)
昨日5月20日は待ちに待ったモモちゃん94歳のおめでたい誕生日!!
この日は丁度年に一度のヨット・HINANOのレース日の翌日で伊豆半島・伊東よりホームポート千葉県房総半島突先の富浦まで回航する日と重なった。通世はレースだけに参加してフィニッシュ地点の伊東より誕生日を祝うため19日夜帰京。
コーチャンはこの記念すべき日を海の上からお祝いする事にする。
何とか当日中にお祝いに駆けつけるつもりだったが面会時間を過ぎており今日遅ればせながらお祝いに行く。
昨日皆からお祝いされ疲れたのか気持ちよさそうな表情でぐっすり寝息をたてて休んでいた。
誕生日も今日もまるで地球が祝ってくれているように見事な爽やかな五月晴れ。
病室から富士山もくっきり!
「昨日から大いばりで94歳!!といえるね!おめでとう!そしてありがとう」と声をかけ帰宅。
(2007,05,15,記)
久しぶりの報告
毎日通世は何度も面会に行っている。(こーちゃんは5月11日まで新潟に行っており会えなかった)
その間に札幌よりモモちゃんの弟ご夫妻が駆けつけてくれしっかりと意思疎通は出来た模様。

その前の日までかなり疲れていたのか反応が少なくほとんど「眠り姫」状態。
この面会のことは何度も声を出し伝えていたのだがやはり理解していたんだ。
弟ご夫妻との握手はしっかりとしており感動ものだったそうだ。

少し疲れたのか翌日からはほとんど反応してくれない。「どうぞゆっくりと休んでね、また力が出たら握手してね」と心の中で語る。
この報告を聞いたのは通世の誕生日、帰京してすぐに会いに行ったところ、ゆっくりと眠れたせいか少し答えてくれた。
しかし日によって、時間によってマチマチ。いい寝息をたてている時の方が多いかな?
だから体調が良く反応が強いときの嬉しさは一段と!

毎年恒例の友人からのクレマチスのプレゼントがどっさりと通世の誕生日に届きモモちゃんも大喜びで活けるのだが、今年は母の日に届けてくれた。
少し病院へお裾分け、手触りを楽しんでもらったがわかったかな?
こーちゃんが面会に行ったときは、ちゃんと握手もしてくれたし最後に「今夜は帰るからね、また明日」と話しかけたらしっかりと二度頷いてくれた。

昨夜の面会時に担当のお医者様に会うことが出来少しお話を。
脳と動きの連動が良いときもありイマイチの時もあるのは仕方がないが回復の望みは充分あるとのこと。
あと間近に迫ったモモちゃんの誕生日に94歳のお祝い出来るのを楽しみにして下さっていると・・・嬉しい報告だった。

昨日ほぼ満開になった庭の白いカルミア見事だったので撮影。
この庭木はモモちゃんが長い間とても大事にしていた植木の一つ。一昨年今年の花付きが良くなるように昨年を犠牲にしてこーちゃんが剪定したもの。期待通り見事な開花となった。
もちろんモモちゃんの枕元にクレマチスと一緒に飾ってある。
赤いカーネーションはお見舞いに来てくれた方からのプレゼント。
(2007,04,28,記)
昨日丁度新潟より帰宅して車庫へ車を入れようとしたその時通世より緊急連絡あり焦って駆けつけてみると、
モモちゃんがこの二、三日反応ほとんど無かったのに再び手を握りかえしてくれたり話しかけにも必死に口を動かそうとしてくれる!
詳細連絡でなかったのでかなりヤバイ想像したが嬉しい誤算であった。
思わず緊急連絡したわけが解った。ホッ。
嬉しくなり色々な問いかけをしてみるとほとんど反応してくれる。
そして今日も出かけてみたが益々の回復パワーにジーンとしてしまう。屋上に咲いた真っ白な牡丹の花が満開を迎えた。
モモちゃんが毎年楽しみにしていた花の一つ、早速通世が手折って病院へ持参。
香りを楽しんでくれ手触りも感じた模様。カコチャンも一緒に3人で色々リハリビ(手足の関節屈伸など)やってみるが自ら(左側だけではあるが)動かしてくれた。
快挙である!!
夜再び訪ねてみるが夜もしっかり反応してくれた。
(2007,04,16,記)
主治医より入院時のCT、その後撮影したMRI画像の説明ある。
脳内出血は止まっており少しずつではあるが吸収されている。所々に脳梗塞の症状も見える。
最初の(昨年暮れ)の出血はほとんど形跡がなくなっている(うっすらとはあるが)
しかし今回の脳内出血の方が量も多く部位もかなり深刻な場所。
シカシである、少しずつではあるが良い方向へは向かっている、後はモモちゃんの生命力と治癒力を・・・
そろそろ体力をつけるため点滴だけではなくカテーテルで栄養補給も必要とか。
血管が非常に細くなっており弱くもなっているので足や手、手首などの点滴より痛ましくないかもしれないので承諾書にサイン。
「外科的処置の延命治療はもういい」とは言ったものの自力での回復の手伝いは・・・難しい判断ではある。
痛ましく苦痛な表情だけは避けてほしいと欲は出てしまう。通世、カコチャンも同意見。
(2007,04,14,記)
今日も少しずつではあるが良い方向へ向かっている。
沢山の方々の面会もあり以前同じ病院の看護師責任者も会いに来てくれた。
午前、度々とも午後とも通世と二人で武蔵野雑木林を徒歩で病院へ行ったがその新緑の美しいこと!
モモちゃんからのプレゼントだと思う。
こちらの話しかけは理解している模様。咥内の消毒のとき口を開けてと言ったら開いてくれたし
看護師さんがこちらを向いて、目を開けてみてと問いかけると初めて目を開けてくれた。
自分でしっかりとは動けないだろうけどチャンとこちらの事は理解している様子。
不随になっていた左半身の足も少し動かしていた、左手に少しむくみはあるが。
(2007,04,12,記)
通世の個展会期中コーチャンは築地に回航したヨットに泊まっておりなかなか面会に行けなかったが通世は個展会場へ行く前毎日面会に。
体調は日によってそれぞれで一喜一憂。これからはモモちゃんのパワーを信じて自然体で受け止めようと心がけるようにした。
しかし個展終了の翌日夜の体調が芳しくなく4人部屋から個室に移った。
久しぶりに個展で頂いた花を持って面会に行ったが非常に喜んでくれた。感情もしっかりしており一安心!
ところがである、その翌日病院から容態急変したので家族の方に来て頂きたいとの連絡があり通世が病室に泊まることに。
意識がなくなり昏睡状態、自呼吸はしており安らかな顔が救いだったそうだ。
そして一旦帰宅した直後再度呼び出し、再度脳内出血したようで最初に駆け込まれた脳神経病院へ救急車で移送。
93歳のすばらしい生き方を尊重するために外科的延命治療は無しとして出来うる限りの様子見で対処して頂くことにした。
僕がヨットから駆けつけた時は本当に安らかに眠っており声かけにも反応してくれた。(初めてらしい)
今回は最初の脳内出血と違い反対側右側。予断は許されないがモモちゃん本人の生命力を大事にしたいと思う。
(2007,03,22,記)
ずいぶんと書き込みしなかったのはモモちゃん安定していたため。
今日外出先へ通世よりTELあり。(通世風邪のため用心してお姉さんに行ってもらっていた)
昨夜少し様子がおかしかったとの事、車で駆けつけるとナースステーションで車椅子に座りウトウトとしていた。
二人の顔を見たら安心したようでニコニコと話してくれた。
本人よく覚えていないようだが看護師さんの話によると昨夜夢でも見たようでいつの間にかにベットから下りちゃんと靴を履いて床に寝ていたとか。
腰と腕(2カ所)湿布をしていた。看護師さんは夜中の見回り不十分でと恐縮していた。
それにしてもどうやってベットの手すりを乗り越え靴を履けたのか謎。
本人は時計が止まっていて時間が解らずナースコールボタンを探した所まで覚えているとか。
まあ大きな怪我でなくて一安心、(骨阻喪症がひどいので一部骨折しているかも)
夜中どうしても大声あげたり不安がったりするようであれば個室に移るのも選択技らしいが今の所空き室がなくもう少し様子を見ましょうとのこと。
ほとんど毎日誰かが面会に行っているが来週から個展の為しばらく来られないと言ったのが不安材料だったのかも。
銀座に行く前、朝面会時間前に様子を見に行く事にする。
通世の作品の写真持参してモモちゃんの部屋に飾る絵を選んで貰った。しっかりと見てくれこの調子が続くようにと願う。
(2007,03,04,記)
病院へ到着したのは丁度「雛祭り」イベントスタートの時間、30数名のこのフロアーにいる患者さんとスタッフの方々15名以上。
まずは全員で車椅子体操、言語療法士による発声、呼吸、練習の後「今日は楽しい雛祭り」合唱、陰の方でモモちゃんの様子見ていたが、時々居眠りしそうになるがちゃんと皆と一緒に楽しんで?いた。まるで小学校の運動会での親やお祖父さん気分。
その後折り紙が配られてお姫様とお内裏様を折る。少し手伝ってあげたがこの分野はモモちゃん得意部門。
色紙屏風に名前を書く所で「コーチャン書いて」と言われたが「自分で書いてみようよ」と言ったら見事な筆使いで書けた!
甘いおやつと甘酒、お茶が出たがお茶とお菓子を頂く。
昨夜も「深夜の声だし」あったようなので出来るだけ昼間起きているように暖かな外へ出てみる。少し眠そう・・・。
2時間ほど一緒に過ごし病院を後にした。
夜、通世が面会に行った時は流石に疲れたのかご機嫌斜めだったそうだ。
(2007,03,03早朝記)
3月2日主治医の先生や担当看護師から入院後最初の定期説明があった。非常に丁寧な説明に感謝。
夜、不安になる意味の説明や昼夜逆転を出来るだけなくす努力をこれからも試行錯誤してこれからのリハリビ治療をしてみましょうとのこと。安定剤や睡眠導眠剤は患者によっては昼まで残ることがありそんなに副作用は無いそうだけどあまり薬を使用することはしない方がより良いとのお考えみたいなので安心した。慎重に様子を見ながらベストの選択を試みてくれているらしい。
幸い食欲はあり何とか自分で食べることが出来るようになって来ているので「これが一番の薬」とおっしゃってくれた。同感である。
モモちゃんがここまで元気なのは今までも全ての歯が揃っていてきちんと食べていたからだと思う。
今日3月3日は院内でも雛祭りのイベントがあるらしい、チョット様子を見に行くつもり。
(2007,02,27朝,&午後)
山あり谷あり
昨夜(25日夜)いつもながら本人曰く「全く眠れなかった」とのこと。
本当はしっかり眠れているのだが・・チョット心配なのは4人部屋で寝言みたいに大声で声を発していた模様。同室の方々からクレームついたらしい。
この病院は介護施設ではなく「回復期のリハリビテーション病院」なので共同生活しながらリハリビテーションを行うのが趣旨。
主治医の先生から「もしこれからもこのようなことが続くと受入難しくなるかもしれません」と言われる。
あまり薬で夜の安定を促すのは躊躇しているがこれも一つの選択技かもしれない。
昼間は非常にはっきりしており心穏やかなで他の患者さんやスタッフの方々ともうまくいっているがやはり夜暗くなると不安が増すのかもしれない。
年相応の昼夜逆転と人恋しさがあると先生も僕たちも理解しているが、あくまでもリハリビと自宅へ帰ることが第一目標
出来るだけ昼間ベットから出てリハリビや他の方々との会話などで起きてもらいエネルギーを使いその疲れで夜ぐっすり安心して眠ってくれると良いのだが。
スタッフの方々もとても気を遣ってくれているので、まだどん底の状態ではなく日によって状態変化しているのでこれから良い方向に向かってくれることを祈るのみ。
昨日、通世が行ったところでは落ち着いていた模様。今から昨夜問題なかったかどうか確認しに行く予定。

27日午後記
行ってきました。結果はまずは良好。丁度リハリビ中であった、その後昼食、もちろん完食。
看護師さんの報告では昨夜少しナースステーションに居させたが落ち着いたので11時睡眠導眠剤少し投与、熟睡したとのこと。
本人もよく眠れたとスッキリしていた。少し不安だった翌朝のふらつきもないようだ。
先生の説明では色々な方法でレンドルミンや安定剤を副作用が起きないように注意しながら投与、様子を見てみると言って下さった。
「レンドルミン」は不安や緊張感をほぐし気分をリラックスさせながらの導眠剤で副作用も少ないらしい。
患者それそれによって効果の違いはあるらしいが。
話は変わるがこの薬の製薬メーカー・ベーリンガーインゲルハイムは僕たちが欧州に取材に行く時の拠点であるドイツの小さな街「インゲルハイム」にある会社である。ずいぶん以前だが僕の写真がその会社のカレンダーになったこともある。(友人の病院で見かけた)
その工場から廃材をもらい受けお世話になっていたお宅の薪ストーブ用に薪割りをするのがお礼だった。
(2007,02,24,)
転院してからまだ二日目だがすばらしい回復!
回りを驚かしてくれる。病院スタッフの方々や同じ患者さん、もちろん僕たちも。
明るい環境で本人もリハリビに燃えているようだ。なんと昨日は自分で車椅子に移動、靴の脱ぎ履きもゆっくりながらも出来てしまう。
食事も完食、リハリビのスケジュールもびっしりなので夜はちゃんと疲れて寝ているようだ。
偶然にも友人が撮影した著書「花舞台へ帰ってきた」文楽人形遣いの人間国宝、吉川蓑助・元NHKアナウンサー、山川静夫著が送られてきた。ご両人の「脳卒中・闘病・リハリビ・復帰の記録」だ。
一気に読む。お礼の電話をしたが偶然とのこと。
何時かモモちゃんへも読み聞かせてみたい。
(2007,02,22,早朝記)
モモちゃんの口からお世話になった病院のスタッフ皆様へ「色々ありがとう!」としっかりお礼を述べ握手した後いよいよ転院移動。30分ほどで新しいKOリハリビテーション病院へ到着。
色々な介護士の方や院長先生との挨拶や診察(モモちゃんに対するこれからのリハリビ方針を検討するためのCT、レントゲン、問診など)を受け丁寧な説明を受ける。
我が家の見取り図なども提出、あくまでも自宅へ帰宅出来るようになることが主な方針。
今回の突発的症状にいたった原因など主治医の説明など非常に丁寧だったので安心。
心臓肥大による脳梗塞の危険性、骨粗鬆症による骨折の危険性等々。しかし93歳にしては非常に立派とのこと。全ての歯が揃っていることには一同驚き。
口からしっかり食べられることが一番の薬。
モモちゃんも少し緊張気味だったけどまずはこの病院転院を受け入れてくれたようで一安心!
(2007,02,21,早朝記)
今日いよいよ「KOリハリビテーション病院」への転院日、
一時は急に様態が悪化し転院不可能かとも危惧されたが一昨日、昨日非常に安定した体調に戻りホットした。
担当医もほぼ間違いなく転院による体調回復に太鼓判を押してくれた。
まずは先生からモモちゃんへ説明して頂き通世からも噛で含めるように話す。
本当にお世話になった、感謝感激である。看護師さん皆様の献身的対処対応にも頭が下がる。
モモちゃんへの転院の説明も素直に納得してくれ一安心。
しかし実際新しい環境への慣れはかなりのストレス、不安が伴うと思うのでしっかり見守る事が大事となるだろう。
とにかく今日の転院が問題なく済ませる事を祈る。
下記は転院説明した後のコーチャンからモモちゃんへ渡したお手紙、何度も読み返して貰い少しでも不安がなくなると思ったので。

モモちゃんへ
病院転院について、先生と相談しました。
先生がおっしゃるには、モモちゃんの回復(リハリビ)が予想以上に良く
このままこの神経病院に入院しているよりもリハリビ専門の病院へ移った方がより回復が早くなるそうで、
自分で歩く練習も可能だそうです。そしたら家に戻れれるそうです。
この病院の先生やケアマネージャーの大野さんは「KOリハリビテーション病院」を勧めてくれました。
とても良い病院なので人気があり、なかなか空きが無かったのですが、やっと2月21日に転院出来ることになりました。
カコチャンと通世とコーチャンはこの前病院へ下見に行って来ましたがとても綺麗でリハリビの部屋も色々出来そうでした。
先生や看護婦さん、リハリビの先生もしっかりしていましたので安心してください。
しっかりとリハリビれば自分の力で歩くことが出来き、話し方もずっとなめらかになるそうです。
モモちゃんの回復力には先生、看護婦さん、僕たちもビックリしています。
一つだけ注意は急がないこと !!
ゆっくり、ゆっくりとリハリビして下さいよ !!
(2007,02,15,早朝記)
昨日はあまりにも動揺してお騒がせしました。
いてもたってもおられず早速今朝6時半に様子を見に行ってきました。
結果は非常に安定しておりほぼ一昨日の元気な状態に戻っており血圧、脈拍も平常。ホッっとしました!
笑顔も戻り視野も平常に戻り平穏な顔に・・・でも一応MRI検査の予定。脳梗塞がおきていないことを祈る。
検査が終わるまで食事は点滴で安静に、モモちゃんもちゃんと理解してくれましたが昨日の事はいっさい記憶が無いと言っていた。
それはそれでモモちゃんにとっては良いことかもしれない。まずは検査結果を聞いてから。
(2007,02,14,記)
2月12日より個室へ移る。食事も右手で摂れるようになりとんでもない回復・・・
そして今日、KDリハリビテーション病院への転院日も決まった、2月22日、より高度な回復期リハリビ治療を専門とする病院へ転院出来るとのこと。
朝食は通世、夕食は僕がサポートに行く。担当医師からも「転院先決まって良かったですね」と。
転院の件は明日ゆっくりとモモちゃんに説明することにする。
しかしそこに大きな落とし穴が
丁度夕食が始まり今夜のメニューにはバレンタインデーのプチチョコケーキとイチゴのデザート付き!
しかしモモちゃん興味なさそう、そしてどうも疲れたのかいつものようにスプーンが動かない。
そのうちスプーンを出す方向がおかしく見えだしたので看護婦さんを呼ぶ。

どうも右方向の視野がおかしい。目線も右方面をさまよっている。
血圧がかなり高い、まだ幸いに担当医師が病院内にいたので急遽診察してくれた。
食事を中止し、点滴に変えCT撮影の準備。その間大声で身体の不快感を訴えるがやはり目線が空を切っている。
丁度今回倒れた最初の状態に似ている・・・何処かに脳内出血が無いと良いのだが・・・・動き回り撮影困難を極めるが何とか終了。
結果は出血無し、しかし脳梗塞の可能性大、
それによる半側空間無視(空間のうち左右どちらかが意識からはずれてしまう)は脳梗塞の症状の高次機能障害として多く見られるそうだ。
かなりひどい視野狭窄状態。
声を掛けても違う方向に顔を向け反応も遅い。
明日少し身体が安定しているようであればMRI撮影の予定。高齢のため安定剤の投与は躊躇するとのこと。
又血管がボロボロなので」血流を促す薬も危険を伴うと説明あり。

全て振り出しに戻る事も考えに入れておかないといけなくなったようだ。とりあえず明日の状態を待つしかない。
この状況激変に立ち会うことが出来良かったとは思う。
(2007,02,04,記)
今日は立春、全ての物事が陽に、気分ポカポカ。
モモちゃんの回復はすばらしくお見舞いに来てくれた金ちゃんもビックリ!
昨年暮れの倒れた頃から考えると本当にありがたいことである。
毎日「これが出来るようになった!」「ここまで喋れるようになった!」と良い方向ばかり。
モモちゃんの歳、93歳を思うとなんと贅沢な喜びであろうか!・・・感謝しなければ・・・。
(2007,02,03,記)
モモちゃんのリハリビによる回復の効果芳しいとの先生のお墨付きを頂いている。
担当の先生が「リハリビ治療が有効である」という診断書があれば2ヶ月以内にさらに高度な回復期リハリビ治療を専門とする病院へ転院出来るとのこと。
発病後60日以内に手続き必要、本人の病状で受け入れられるか又その入院期間(最大150日)が決まるとのこと。

早速紹介された病院二カ所のうちKDリハリビテーション病院へ通世とお姉さんが先日相談に行ってきた。
非常にきれいで対応もよく高度なリハリビ治療を行っている模様で現在のモモちゃんの体調だと受入可能だそうだが空きが無い。
(望んでいる回復期リハリビテーション病棟は4人待ちだそうだ、同じ施設にある療養型病棟はそんな少数では無い)
今入院している所からうまく転院出来ればさらなる回復が望まれるみたいと、はじめの緊急入院時から比べると欲は出てくる。

そして昨日もう一カ所のKOK病院も見学に行ってきた。通世、お姉さん、僕の直感した感想を述べると
施設の患者さんに対する態度がイマイチ、施設内の備品の置き方がひどい、非衛生的、・・・・別に美しいホテルを望んでいる訳では無いのだがこれではモモちゃん滅入ってしまうであろうと感ずる。

せっかくほぼ完璧なバリアフリーの自宅があるのだから住み慣れた自分の部屋で過ごせるようKDリハリビテーション病院での回復治療が出来ることを次なる目標とする事に3人とも決める。
(2007,02,01,記)
食事は以前よりも益々普通食に近くなってきた。電動歯ブラシ使用の練習も始める。
しかし少しずつ元気になってきたと同時にやや我が儘になってもいる。
今日行ってみると先週から始まった看護学校の実習生とモモちゃんとお互いの実習練習していたのだが
(モモちゃんにとっても良い刺激になると思い同意した)どうも年齢的な先輩気分なのか皇太后のように(下の方にある11月28日参照)色々こき使っていた。
参ったナー・・・それだけしっかりしてきたと思うようにしているのだが。
(2007,01,25,記)
昨日神田で定期的に開催されている集まりでレポートされた「香港水上居民の正月祭事を訪ねて」で中国の桃の花に関する民族学的お話の中におもしろいコメントがありました。
日本の松竹梅の中国版では桃と柑橘類、キンカンはお金、桃に関するイメージは「福をもたらし栄を願う大事な花」
ということはモモちゃんの名前「百栄=ももえ」はすばらしくおめでたい名前なんだ!と実感。

通世が驚きと喜びのあまり心配してくれていた友達に送ったメールのコピーです


1:昨夜からモモチャンの食事が「鼻から栄養」ではなく「クチから柔らか食」
になったのが超ウレシく昼食時に行ってみると
自分でスプーン持って食べてました!!

2:母「ももちゃん」が昨夜から「やわらか普通食」を食べられるようになったのです!
スゴイ生命力で生かされているのでしょう。

3:私たちの母、「ももちゃん」は昨夜から「やわらか普通食」に。
「鼻の管」がはずされ、両手のグローブもなく、
自分でスプーンを握ってひと匙ひと匙クチに運べています。
オドロキました。
医師も看護士も、みんなビックリ。
もちろん、「できる」という確信があっての処置ですが
ここまでしっかり、「お上手」にできるとは!
う〜む、さすが「ももちゃん」です。
(2007年1月23日、記)
朝、医療相談室にてこれからの方針を打ち合わせにカコチャン、通世、コーチャン行く。
非常に親切にアドバイス、対応して頂く。
そして丁度、身体と言葉のリハリビ中だったので見学。
言葉のリハリビの先生も熱心にやって頂き食事の「飲み込み」も言葉の発声と非常に関連しているとのこと。病室で2,3日前から始まったプリン状の食事様子を見てくれるとのこと。
そして夜、再び面会に行ってみるとナント胃へのチューブもはずし言葉リハリビの先生の許可が出たそうで初めて流動食を食べたそうだ。
とても喜んでいたとの看護婦さんの報告。リハリビの疲れもあってかスヤスヤと眠っていた。
(2007,01,18,記)
今朝の面会11:00、今までと同じ感じだが少し微熱がある模様、2回目の入浴予定日らしいが熱が下がることが条件。
丁度担当のお医者様とお話が出来た。これからの対応の問い合わせあり。
こちらとしては最終的には自宅介護だが、次の段階は自立のリハビリ施設への移動を、と考えておく方が良さそうと思っているのだが。
現状のリハビリのための入院期限は3ヶ月。「近日中に医療相談室で打ち合わせを」と勧められる。

昼間はこうした病院でのリハビリをモモちゃんは自覚しているが夜は変わるらしい。
お医者様によると「こういった夜間妄想はほとんどの高齢な患者さんに起きる」とのこと。今夜様子を見に行く事に。

そして今夜19:30の状態は予想した通りかなり興奮状態。少し混乱しているみたい。
散歩を要求してみたり自宅と病院を勘違いしていたり「さあ一緒に帰ろう」と云ったり諸々あり。
ゆっくり話しながら理解してもらう事が今夜出来た。
たぶん日々違った状態になっていると思う。
普通の人間でも夜突然起きると自分のおかれている状態が混乱するはず。
日々又時間によって判断能力変わるのは仕方ないと、またその状態を見て一喜一憂するのはダメだと言い聞かせる。
今日は今日、明日は明日、素直に受け止めるべきだとも。
(2007,01,17,記)
2007年1月16日現在のモモちゃんの体調は少しずつではあるけど良い方向に向かっている。
決して楽観は許されなく、その日その日で調子は違うのだが素直に受け止めることが大事とこの頃実感。
まだ誤飲が怖いので胃へのチューブからの栄養補給しか出来ず口からの食事は今しばらくの辛抱。
数日前から点滴ははずし常時監視の血圧、心拍などの計器も取り外し、ベットで自力で起きあがる練習、車椅子への移動練習が始まった。
右半身の麻痺がまだ残っているのだが少しずつではあるが感触感はでてきた模様。
そして昨日から言語リハビリも始まる。入院当初はほとんど聞き取れなかったが今は何とか聞き取ることが出来る。
記憶障害は残っているがそれほどひどくは無い模様。
病院のスタッフは非常に良くやってくれモモちゃんも「ありがとう」と言えるようになってきた。
モモちゃんからの一番のプレゼントは毎日の病院見舞いに通世と二人で雑木林を散歩しながら歩くこと。
おかげでコーチャンの体調、生活リズムにも良いことだと・・・感謝。