08年1月モクモク日記へ

index  表紙へ戻る コーチャンの日記:2004年12月8日より〜いつまでか不明です?? モクモク日記月別一覧へ こうちゃんのページへ戻ります
  お友達・お役立ちのリンク集(別ページで開きます)

クリック!!
富浦ハウスにて「久我耕一の写真とは何か?展」開催中
中学時代のアナログ世界より現在のデジタル世界まで
要予約、宿泊可能(朝の漁組見学もお勧めですので)、送迎いたします。

開催してから気がついたこと
写真学校時代に撮影していた第四機動隊の写真を説明していたら皆、今はどうなっているんだろう?
との問いが多くありそれなりに意味があったかなと感じていますが、11月24日、はっきりわかったことがあります。
今、多くのメディアで伝えられている防衛省(一寸前まで・・庁)などの無駄な金銭や人脈などが主ですが
今年のコーチャン喪中はがきです
40年前の国会議事堂前です。その頃僕は写真学校に在籍していたのですが
追っかけていたテーマは第四機動隊でした
安田講堂、羽田、新宿、日比谷・・・佐世保まで彼らの追っかけやってました
おかげで私服の公安にあごの骨折られたり・・・これって今流行の「かわいがり?」
違います、隊長から「このまま関門海峡通させないぞ」と脅かされていました

今はこのように絵になる形では物事進んでないけど
もっともっと深く物事が進んでいる気がしてならない

佐世保に原子力空母が寄港するだけで大騒ぎになりました
今では原子力空母が横須賀を母港になっている

非核3原則と云うのもあったなー?
一番大事なのはそもそも憲法9条(別ウィンドウにリンク)
(このはがきの表面には下記文章をつけました)

そもそも日本国憲法には下記のようにうたっている

第2章 戦争の放棄
第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

今、多くのメディアで伝えられている防衛省などの
無駄な金銭や人脈などが主ですが一番大事なのは
「日本国は戦争に使う武器は無いはず」
「安かろうが、賄賂が無かろうが殺人武器を税金で買ったらイカン」

どうもその辺をあやふやにされているようで仕方がない!!
すでに日本には世界でトップクラスの殺人兵器を持っている!!

軍隊が存在しないという世界に誇れるすばらしい憲法があるのは
日本とコスタリカだけのはずだけど・・・

まだ憲法改正は行われていないのにここに埋もれている膨大な
国家予算はいくらあるとご存じだろうか?

文責:久我耕一
先月10月へ  BBS 皆様の書込、お励まし、楽しみにしています!、書き込みエラーでにくくしました。
12月21日

金曜日
昨日何とか富浦ハウスに到着。
いつものように漁組市場からウルメ、穴子、カワハギ、ダルマイカ頂き!
穴子はすぐに腹捌きし冷凍に、ウルメは寒風で天日干し、イカは煮付け、カワハギは刺身と味噌汁、平和だな〜。
先ほどテレビのニュースで日比谷公園でイスラム教ではやらないキリスト教のクリスマス・イルミネーション点灯式やっていた。
今いる富浦ハウスには40年前日比谷公園を埋め尽くしている「ベトナム反戦集会」の写真が・・・
こちらも平和なのかも。
12月20日

木曜日
22日はもう冬至!ゆず湯は富浦ハウスで山から柚を拾ってきて浸かりたいと思っている。
だらだらと国分寺ハウスに滞在していたけどその理由は富浦ハウスにて自分の写真に対峙するのが少し疲れてしまいなかなか帰宅?できなかったから。
冬至とは以前、鎌倉円覚寺龍陰庵に逃げ出しお世話になっていたとき和尚様がそっと言ってくれた。
「久我さん、冬至までは陰、それを過ぎたら陽。陰陽は良い悪いではないのだけど少なくとも冬至までが陰のピーク、その日が過ぎれば陽に転ず。
冬至が陰のピークなので明日から陽になるからゆっくりしなさい・・」と沸かしてくれた風呂にそっと柚の実を置いていってくれた。
17日に書き込んだ「寿生の事」リンクするようにしました。
このところ精神病院入院中のお友達や同病相憐れむ友人から時々電話やメールが届くが「お互いはき出し」として受け止めている。
僕にとっても良いことだと思う。パートナーは「自分のことだけで精一杯なのに大丈夫?」と問われるのだけどその反対、僕も楽になる。
12月17日

月曜日
昨日病院へ行くため国分寺へ戻る途中に横浜へ
ずーと会いたくても気分的に会えなかった寿生の娘「ひなのちゃん」に会いに・・・1年以上ぶり?
すでに4歳になっており、その可愛らしいこと!!思い悩んでいた事を吹っ飛ばしてくれるような笑顔!
その時の様子と受け止め方は後日書き込み予定。でもカメラを手に取ると撮影が止まらなくなりそうで我慢することが出来た。
突然の訪問だったのでひなのちゃんへのお土産は用意してなかった、
車に富浦のウルメイワシ・コーチャン特製丸干しを積んでいたのでプレゼント。
お母さんやおじいさんが言っていたのだがなぜだだか誰も教えないのに魚が大好きらしい。
食べることも見ることも、釣りもしたがっているとか・・・

そして今日、立川の心療内科へ薬を処方してもらいに行く。
駅から出たら僕の目の前を若いセンスある女性が歩いていた。追い越すとき振り返ってお顔も見てみたのだけど美〜人!
危うく話しかけて危ないおじさんになるところだった!!
そして病院へ入るとなんとその女性が入ってきた。その後薬局で薬の受け取り待っていたらまたもや同じ方が・・・
「ひなのちゃん」といい、やはり女性は美人が良いなーと思うただのおじさんか?僕は?
一寸前までベットから出られない鬱状態だったのに急にハイテンションになりつつある
危ない危ない!!(でももう一度出会ってみたい・・・・???)
もちろん通世もすてきな女性ですよ!!蕎麦や素麺、パスタが大好きなコーチャンは「メンクイ」なのだ!!
寿生は「それって差別だ〜」と彼が中学時代言ってたな〜。

昨夜丁度国分寺に帰宅した直後、久我耕一写真展全国展の会場をお借りした高田馬場のヒーロス・ヒーローのオーナーが忙しい中、モモちゃんの弔問に来てくれた。
そういえば彼女も美人だな〜!!

12月15日

土曜日
久々の更新、たぶん今少し書き込み遅れそうです。
何故だかインターネット触るのが少し疲れたので。
それでも久我家の喪中はがき以外にコーチャンからの喪中はがき制作、少しずつ投函してます。
そして今日は僕のおふくろの49回忌命日。
海岸に行って海に供花した。そして通世にメール。その内容は下記
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
多美子命日に感じたこと。海を見ながらかなりかなり昔の多美子の事考えました。
まずは多美子が生存しなかったら僕も弓子も寿生の存在、そしてあのような父・修三郎も居なかったんだろうな〜?

そして彼女の短かった(36歳は彼女としては長かったのかもしれないが)一生が与えてくれた色々なことも無かったんだと。
もちろん写真はやってなかったかもしれないし、
モモちゃんの一生も含め人間全ての一生がとてつもなく多くの人間に影響を与えているんだな〜とつくづく思った次第です。
それをゆっくり考えさせてくれた海に感謝しています。それぞれが生き、それぞれが逝き多くの事を僕に学ばせてくれます。
その一生がどのような形で終わろうとも彼らが僕に非常に沢山の事を教えてくれることに感謝しています。
とらえ方は一杯あると思いますがその一つとして。
2007年12月15日・耕一記
12月2日

日曜日
すでに師走となり新たに12月のページに更新しないといけないのですが今しばらくお待ち下さい。
「モモちゃん闘病記」にモモちゃん帰宅の画像をアップいたしました。
沢山の仲間に支えられ執り行われた通夜、葬儀の報告後日いたしますがヨット仲間の「マンボウさんブログ」「ジャッキーさんブログ」にアップしてくれています。ありがたいことです。

11月29日

木曜日

緊急お知らせ
お知らせ:昨日11月28日19時37分、モモちゃんが天寿を全ういたしました。

松尾百恵の名前が表すように百歳までは栄えませんでしたが94歳!
なんと歯も全て自分の生きた歯で虫歯も一本も無し!ギネスブック物です。
これがモモちゃんの生きる原動力の一つと思われます。
それはそれはすばらしく、又力強い生命力でした。沢山の沢山のエネルギーを頂きました。
その生き様は私たちにとっては100点満点、いや200点満点だと思っています。ありがとうモモちゃん!!

通世の立ち会いの下、心でお話伝達をしながら静かに静かに安らかに天国へ逝きました。
モモちゃんに感謝すること一杯です。

又私たちを支えていただいた多くの知人、友人方々にも感謝いたしております。ありがとうございました。
通夜、葬儀の日程も決まりました。
モモちゃんの要望通り近くの東福寺(西国分寺北口)・武蔵野斎場にて行うことになりました。
お坊さんは茂さん、モモちゃんのお墓がある妙法寺ご住職にお願いいたしました。
11月30日午後7時より〜(斎場には一晩付き合う予定です)
12月1日午後1時〜2時に葬儀式、お見送りとなりました。

モモちゃん闘病記には最後の書き込みとして同じ文章書き込みました。
又「モモちゃんの生け花」シリーズ見て、しのいでいただけるとありがたいです。
2004年、2005年と3年間のモモちゃん力作です

トップページ(INDEX)に今年のモモちゃん年賀状アップしています。


11月28日

水曜日
11月24日には予約通り女性3名「久我耕一の写真とは何か?展」ご高覧頂く。その中の1名、ジャッキーさん(リンク集にありますが)がその様子を11月24〜25日にしっかりとアップしてくれていますが・・・
何せ美女3名!それもお泊まり、おもてなしにハイになるのは男として当然?
早朝から漁組にてでっかい黒ムツを手に入れ下ごしらえしたり晩飯の鍋準備したりご案内する崖観音下の「安田木工所」に行き予約したり・・・・準備万端でイソイソ・・・・
その前後に来て頂いた方々とは対応が違っていた・・・・月曜日に来てくれたHINANOメンバー男2名へももちろん出来るだけのおもてなしはしたつもりだけどネ。
その月曜日は久しぶりにHINANOを出港させハイテンションになったままかなり前にミスって沈めてしまったアンカー探しのため何年ぶりかにタンクを背負って潜ってみる。
ところがあまりも海底美しくアンカー探しは忘れてしまって海中散歩を堪能。その後少しだけ帆走、船底の汚れはかなり綺麗になった。やっぱりヨットは帆走しないと可哀想だな〜と実感。
このダイビングや帆走、そして美女と見た水平線に沈む満月、太陽、宝貝拾いに行った海岸の波音、海はすばらしく偉大なパワーを伝えてくれる!
そんなこんなでしばらくモクモク日記アップがお休みでしたが今日になってやっと少し体力復活?
今部屋で書き込みしていますが外に行って送信予定。
いらっしゃる方々により対応を変えなくてはならないのでこの写真展、かなり疲れるな〜。
でも自分のノスタルジーに浸るのではなく、こうしてアナログな写真を広げてみると今の世の中のおかしなところが少しずつ見えてくるのがおもしろい。
このページの上の方に少し書き込みしてみた。今危ない方向に突撃している世の中について。

11月22日

木曜日
昨日、朝の通勤割引(8時59分55秒にアクアライン木更津料金所通過、5秒でギリギリセーフ)で富浦へ戻る。
国分寺では何とか計理士さん宛、経理の明細渡すことが出来、病院で薬も受け取った。
最初にモモちゃんに会いに行く。命の尊厳を感じさせてくれる。

今HINANO、キャビンにてこれを書き込み中。
快晴で心地良い。海も綺麗で透明度抜群・・・でも最近走らせていないので船底にビッシリと生物が生息中!!

昨日の夕食は我ながら良くたっやと思う。いつものように漁組よりお魚頂き料理する。
メニューはイナダの刺身、鎌塩焼き、小烏賊のショウガ、韓国風煮物、極小カワハギの味噌汁、等々。
ウルメやカマス、鯵は一夜干しに。
一人でもちゃんと料理している。今朝の朝飯は毎日同じだがホットサンド(卵とベーコン、キャベツ、人参、キュウリ)
牛乳、パンと同じく通世が作ったヨーグルト、僕が作った夏みかんジャム入り

今日は良い夫婦の日?1122。ちゃんと前もって(11月20日に繰り上げ)不二家のイチゴショートケーキ持参で二人で頂きました。
当分この爽やかな天気は続きそう。土日には富浦ハウス写真展に女性3名予約済み。

11月18日

日曜日
今日はここ富浦では北東の風強く快晴なので朝、HINANOに行き船内乾燥に行ってきた。
近くの原岡海岸からも恐ろしい波音が吠え伝わってくる。
15:30再度HINANOに行き戸締まり完了、乾燥した強風のおかげで船内カリカリ、ばっちりと乾燥した。
その間何をしていたかというと色々写真の展示レイアウト変更したり流木にカンナかけたり部屋掃除したりで
一向に経理の仕事進まず。11月末が締めきりだけど・・・何とかなるさ!!


11月17日

土曜日
11月15日
14日お会いした知人から電話があり色々相談を受ける。
この知人というのは、この夏入院していた精神病院のスモーキング仲間で色々悩んでいるらしい。
悩み人同士の会話たるものかなりおかしなモンなんだけどお互いに勇気づける意味で・・・

予定していた土門拳記念館に行く前に気になっていた酒田・山居倉庫のケヤキの紅葉を見に行く。
関東に(特に多摩地方)沢山のケヤキはあるが葉は茶色いまま落葉する。
以前この山居倉庫のポスターに真っ赤に紅葉しているケヤキがアピールされていて何時か見てみたいと思っていた。
前日の突風でほとんど散ってしまっていたが確かに赤い葉っぱはあった、記念に拾ってきた。

その後というかやっと土門拳記念館に到着。
新しく印刷された写真集が沢山あり自分が持っている物とは印刷が違うようなので財布の中身全て使い買いまくる。
そのままでは中途半端になりそうなので近くのコンビニを教えてもらい現金引き下ろし再び記念館売店へ。
そこにあった「土門拳著」の本を全て購入。約9万円。
企画展室にて「女優と文化財」という写真が展示されていた。
驚いたことに全てアナログで(合成無しで)古寺巡礼に出てくる仏様等の前に、横に当時の名だたる名女優が一緒にうつされている!!
昭和39年〜40年の2年間、婦人画報の表紙である。全く恐ろしい方だ。足が震えてしまった。

エイッと気を取り戻し新潟まで走る。朱鷺メッセの皆様には少し残業を強いることになりそう。
隣の県だけど酒田〜新潟以外と時間がかかる。
17時過ぎ朱鷺メッセへ到着。まずは警備室にて入館手続きした後トイレへ、そこでばったりと朱鷺メッセの社長さんと会ってしまう。
トイレの中でお礼を申し上げた後作品を受け取り車に積み込む。
スタッフの方々4名直立不動で見送ってくれているのでまずはエンジンをかけ出発(本当は少しその駐車場で寝たかったのだけど)

この朱鷺メッセ写真展を企画提案していただいた湯本さんに連絡、丁度東京から新潟へ戻ったところだったらしい。
とりあえず食事などしてお礼を述べるが「お互い楽しめましたね」という結果に。
何時までも話は尽きないので時間を決めお別れすることに。

夜9時半関越道に入る。少し休む予定だったがそのまま走り続け結局11月16日の早朝2時半に川崎駅前に到着。
三重県から藤沢に来ている姉貴が9時に川崎に来れるとのことなので・・・その日の夜行列車で名古屋方面へ帰るらしい。
ピックアップしたあとすぐにアクアライン経由で富浦ハウスに到着。
ざっと今回の2泊4日の走行距離は1、1421q
姉弟、血は争えないようで二人ともいつも忙しくしておりしゃべりまくっている。

ヒサオのこと、祖母のこと、やはり自ら命を絶った従兄弟のこと、母親のこと、父親のこと、お互いの夫婦のこと、現状社会のこと、写真のこと等レコードを聴きながら話す。
途中外に出て散歩をしたり海辺に行ったり例の崖の観音下のクラフト屋に行ったり(なにやら買ってしまったようだ)していたらあっという間に最終バスの時間になってしまった。

酒田からほとんど休み無しで動いていたのですぐに寝る予定だったがちゃんと晩飯の材料買い込み自炊する。
部屋の中でゴロゴロと動き回りほんの一寸だけ日常生活に(掃除洗濯など)、ヤク飲んで強制睡眠。

今日は土曜日週末である。少しだけ経理の仕事しようとパソコンを開いたらこの書き込みやっている次第・デス。


11月14日

水曜日
11日夕方、大潮の漁港にてHINANOチェック後(異常な潮位で組合側の桟橋は海面ぎりぎり)突然車から全ての荷物を降ろし寝袋とパソコン、着替え一組だけ積み込み一般道で木更津にて燃料満タン、アクアライン経由〜首都高〜北池袋で降り少し川越街道を走り関越道を北進、谷川岳のトンネルを越えると先も見えない霧だったがすぐに星空、日本海側は稲光が光っていたが、ただただ休み無く走る。
新潟もそのまま通過、燃料補給して日本海高速の終点で一般道に。
日本海沿岸をひたすら走りとうとう午前2時半頃羽黒山五重塔あたりまで到着。
見ず知らずの宿坊の駐車場で車内泊。睡眠剤飲んであっという間に爆睡。
このとき初めて運転席から降りたわけだが富浦からの走行距離メーターは590q。車外の天頂は天の川。

翌朝ハンバーグ屋で軽く朝食をとり羽黒の玉川寺近くにある本村夫妻のギャラリー茶房「東風(こち)」へ。
以前三川病院入院の際お世話になった滝沢さんの奥さん、ピータンの個展を見に行く。
通世は前日新幹線で滝沢さん宅へ到着していて画廊にて再会?

テーマは「ポルトガルのスケッチより・陽光と静寂」
取材地であるポルトガルもピータンの表現もとても癒される(この言葉最近の使い方ではありません)。
通世はお昼過ぎ新幹線で帰宅。僕はその日の天候に興奮状態(まるで交響曲を聴いているようなドラマチックな雰囲気)
突然バケツをひっくり返したような雨、ヒョウ、霰、雷、曇り、快晴、突風、・・・・

今回は車から絶対にカメラを降ろさないぞと決めていたにもかかわらずシャッターを押し出す。
テーマは「東風の朱」、目に付いた朱の素材を撮りまくる。
すぐにパソコンへ取り込みスライドショーを設定。
個展会場で他人がパフォーマンスやるのはタブーなのだがお構いなし。えらい迷惑をかけてしまった。
しゃべりまくりも止まらずそのまま滝沢家へ泊まる。
翌13日は画廊までピータンを送り前日のご迷惑のお詫びを・・と思っていたのだが来場のお客様がまたまたユニークな方が多く興奮状態復活。

お昼過ぎ強制的に酒田にある土門拳写真記念館へ行く予定がずるずると時は過ぎる。
結局5時過ぎ強制的に車のエンジンスタート。そのまま酒田駅前のビジネスホテルに入るつもりだったがそこで又酒田在住の知人とファミレスで延々としゃべり結局チェックインしたのは11時頃。
今朝室内のLANケーブルにPCを接続して今の状態になってるということ。

これから朝食を摂り朱鷺メッセへ10月4日撤去した作品を受け取りアポイントとり土門拳写真記念館へ行き朱鷺メッセ経由で富浦まで走る予定だけど決定はしていない。
体力次第・・・・

11月10日

土曜日
8日の深夜突然富浦へ向かう。
その日は(9日だけど)すぐにヤクを飲んで寝る。
翌日、プレーヤーをセットしレコードを聴く。すばらしい音だけどなぜか全く身体が動かない。
食欲もほとんど無し、何故だかどうしようもないモヤモヤした気分で不思議な時間だ。
先ほど海まで行きHINANOチェック。北東の風6b/s位。久しぶりの雨が気分を落ち込ませているのか???
近日中に山形・羽黒山にある画廊へ友人の個展を見に行くつもりがけどとても運転できる状態じゃ無いので思考中。

11月8日

木曜日
西国分寺の包丁全然切れない。
久しぶりに包丁研ぎ、その前に砥石研ぎ(平面に)。出刃と西洋包丁、何とか切れるようになった。
レコードにはまりっぱなし。
これはイカンとプレーヤーを車に積み込む。(富浦ハウスでゆっくり鑑賞予定)
それでも住所録整理進まない。たぶんやりたくないんだろうな〜。
そろそろ潮時だな、海の近くへ今夜か明日移動予定。

11月7日

水曜日
昨日は何もしないで一日過ごした。たまにはそれもイイかな?と思い。
午前中、立川の心療内科へヤクをもらいに行ってビックカメラで高校時代からほしかったダイレクトドライブのレコードプレーヤーとムービンマグネットカートリッジ購入、モモちゃんの面会に行き、夜プレーヤーの組み立て。
やったのはそれだけ!
あとは新聞と週刊誌買いに行きベットでゴロゴロ。
そして今日、プレーヤーの針圧調整したり(ドライバーでアナログ作業です、もちろん)コード配線したりして自宅にある懐かしいLPを聴く。
最初に回したのは僕が小学校時代に我が家に最初に入ったLPステレオ装置と同時に買ったベートーベン4大ピアノ奏鳴曲集、第23番ヘ短調作品57(熱情)、第14番嬰ハ短調作品27の2(月光)、ピアノ=アルトゥール・ルービンシュタイン。
それからビートルズ=[ABBY ROAD],[LET IT BE],[PLEAZE PLEAZE ME]、ジョンコルトレーン=「至上の愛」、サンニーアデ=アフリカンビーツ・・・・等々。ドキュメント69〜70シリーズNo.1新宿1969年6月なんていうのもあった。
その頃のメディアとしてレコードも確固たる存在していたんだな〜。ソノシートなども少し出てきた。もちろんSP版も。
富浦ハウスに持ち帰って聴くのが楽しみなレコードがいっぱい!!
これからながら族で経理と住所録整理の予定。
この二つだけは富浦でやりたくないので西国分寺自宅に缶詰。

11月5日

月曜日
エッ!もう11月!!どうしてこんなに日時が早く過ぎてしまうんだろう?歳のせいといわれているけど。
今日、山梨バンバレーから西国分寺へ帰宅。
今回は秋恒例のギンナン収穫の為、集まったのは8名?
そのうちの僕を含めて2名は過去の作業でギンナンアレルギーになっており作業現場に近づくことも出来ないので食等や他の作業。
今年は天候のせいか少し粒が小さめだけど味は抜群!
昨年や一昨年の収穫模様はバンバレーのページを。
そして今年の様子はマンボウさんのブログに・・・いつものように丸投げ
コーチャンはかなり病的にハイテンションのままで少々疲れ気味。
とりあえず今夜はここまで。